2011年12月 9日 (金)

「Sony Reader Store」様のトップページに弊社の本が掲載されております

今月より取り扱いを始めていただいた電子書店の一つ、Sony Reader Store様のトップページで、現在(12月9日13時現在)、弊社の書籍三冊がトップページに掲載されております。

まず新刊のコーナーに「戦後日本の思想」。
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そして、「スタッフのおすすめ」に「風流夢譚」、そして「一九六一年冬「風流夢譚」事件」の二冊となっております。
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是非、ご覧いただければ幸いです!

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2011年9月 8日 (木)

『かくもさまざまな言論操作』を発売しました!

今週、2冊目の新刊が発売となりました。

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かくもさまざまな言論操作

本書の著者、岡庭昇氏はかつて養殖ハマチの危険性などをテレビでスクープした元TBSのドキュメントディレクター(その時の本は『飽食の予言』に詳しい)。
早くから今日問題となっている行政やマスメディアの歪みをずっと以前から指摘されていた方です。
したがって、本書も1998年に刊行された本ながら、まったく古さを感じさせません。
たとえば原発について。

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 事態が教えるものは、あまりにもはっきりしている。この程度の基本的、初歩的な事故を起こしうる設備がそもそも原子力発電所なのだ、ということだ。これにつけ加える、どんな理屈も不要だろう。
 この場合も、あたりまえのことをあたりまえといい切ること、すなわち常識こそが大事なのではないだろうか。危ないものを危ないと感じて、危ないものはやめようと提案し、危ないものに執着する論理は成り立たないと、ごくごくまっとうに考える市民の発想以外に、本来「原発論議」は存在しないなずなのだ。
 なぜそれなのに、あまりにも事態は「ほんらい」ではなく、「あたりまえ」ではないものがまことしやかに存在してしまうのか。むしろ「あたりまえ」を、そのにぎやかさで圧倒してしまうのか。むろん、それこそが情報帝国主義の、情報帝国主義である証拠なのだ、といってしまえばそれまでなのだが。
 原発は、いわば「国是」である。「国策」なのである。そして、それが国策であるかぎり、それについての情報はまったく市民に知らされず、それに対するあらゆる疑念自体が認められない。それは、まさに国策であるゆえに存在理由を持つのであり、そこに懐疑も、検証もあってはならないのである。それこそが一党独裁の強いる現実にほかならない。国策であるならなおのこと、十分な検証が必要なはずなのだが、むろんそういう「まとも」は、そこでは通用しないのである。
 危ないものを危ないと感じて、危ないものをやめようと提案して、危ないものに執着する論理はあり得ないとするところの、「まっとうな」市民感覚は、原発をめぐって存在を許されなかった。情報帝国主義は、さまざまな手だてをもって、それを押さえ込んできたのである。
 そのひとつに、原発を危険だなどというのは、科学的な無知のしからしむるものにすぎない、という「理屈」がある。これはけっこう有効な詭弁だった。この「理屈」は、「危険性などはない」という結論を、「無知」呼ばわりと引き換えにきめつけるけれども、その「無知」が納得するようには説明してくれるわけではなく、ただ懐疑は無知の結果であると、決めつけるだけなのだから。
 たとえわれわれ市民が、科学的な専門性を持たないのは事実だとしても、そしてそのかぎりでは「無知」であるのが事実であるにしても、それを「無知」呼ばわりすることで懐疑を嘲笑し、否定した論議は、ついに懐疑のなかにある無知を、懐疑を超えたところの「納得して安心した知的認識」に転じさせることができなかった。そんなにも、説得力のない専門性などというものがあるだろうか。
 はっきりいって、このきめつけにあったのは、論理でも専門性でもなく、ただ「無知」という高飛車な罵倒で、懐疑自体を封じ込める「政治」なのであり、そうである限り「無知」が正当に感じている懐疑や危惧に対して、「無知」よりはるかに非論理的であることははっきりしているのだ。
 さて、だからこそわたしは、さきの指摘にこそここでもどらなければならない。すなわち、この程度の基本的、初歩的な事故の可能性を持つのが、原子力発電所というものなのである、という指摘に。
 科学的な知識が、それだけで認識の優越性を保証するという考え方自体が意味を持たないが、それ以上にここでの皮肉な結論は判然としている。懐疑や危惧を無知呼ばわりした、科学的に優越している立場が、少なくとも専門家としては、この程度に基本的で、初歩的な事故を起こしてしまったのだ。つまりは、非専門家の「無知」が感じた懐疑や危惧こそが、じつは正当に事態を認識していたわけなのだから。
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いかがでしょうか。実は上記の「事態」とは1997年3月11日(!)に動燃で起きた再処理工場爆発事故を指しています(私も今、改めてこの事故の日付を見てビックリしました)。
しかし、これはまったくもって2011年3月11日以降の東京電力福島第一原発事故にそのままあてはまります。
つまり、当時も今も、何も変わっておらず、岡庭氏が提出した問題は何も解決されないまま今日に至っていたというわけです。

さて、今回はすでにお伝えしましたように、「究極のニヒリズムを越えて――原発社会との対峙」という新たな書き下ろし原稿を加えての発売となります。
少しでも東京福島第一原発事故に関心のある方は、是非ともお読みいただいて、霞が関の官僚、財界、マスメディアによる「情報操作」に対する感性を磨いていただければと思います。

なお、これもすでにお伝えしましたように、岡庭氏が個人的に発行している「週刊岡庭昇」の一部原稿を、本書の発売記念として、今後、掲載していきますので、お楽しみにしていただければと思います。

なお、引き続き『戦後日本の思想』、『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』も好評、発売中です(電子書籍に絶版はありません)。

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戦後日本の思想

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011年9月 5日 (月)

本日、『戦後日本の思想』発売しました!

先日来、ご案内しておりました弊社電子書籍の第二弾、『戦後日本の思想』が本日18時よりボイジャーストアにて発売となりました。
本書はタイトル通り、戦後日本の思想の古典的名著で、以前のエントリーにも記しましたとおり、1959年に中央公論社から刊行されて以降、勁草書房、講談社学術文庫、そして岩波書店で二度にわたって書籍化されております。
今回は刊行記念ということで、中央公論社版のカバー右ソデに入っていた桑原武夫氏の評をご紹介いたします。

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 名著『現代日本の思想』において、思想を紙の上に定着されたものとしてでなく、社会に生きて人々を動かすものとして捉える新技術をあみ出した久野、鶴見両氏は、ここに新鋭藤田氏を加えて、私たちが今そこにすむ「戦後日本の思想」の検討に見事な成果をあげた。
 敗戦によって様相を一変した思想界に、たんに進歩、保守の対立を見るのみでなくそこに文学的、社会科学的、土着的の三発想法をからませ、さらに、日本人がいかに戦争体験をうけとめたかをさぐる。この六本の柱の検討にあたっては、まず柱のさしこまれている土質にふかい関心を示しつつ柱の支える家屋構造を明らかにする綿密な「報告」を行ない、さらに三人の自由討議によって、その彫りをふかめてゆく方法をとっている。定言的な結論を期待する怠惰な読者は、そこにあまりに多くの、時として相反しさえする観点を見出して、戸まどい的不満をもつかも知れぬ。しかし、思想とは自ら苦労して身につけるべきものと知る誠実な読者は、楽しい自由選択の知的作業をなしつつ、読みおわるとき、戦後思想の潮流の大別をいつしかわがものとしたことに気づくであろう。知性にとって最上のおくりものとして推せんする。
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いま日本は第二次世界大戦後最大の、というよりも歴史上、始まって以来の最大の国難に直面しています。
そうした中で、もちろんいま最優先に求められているのは福島第一原発が撒き散らかす放射能災害の収束、そして東日本大震災の爪あとからいかにして復興への道筋をつけるかということであることは言うまでもありません。
しかし一方で、ただ闇雲に「ヒト、モノ、カネ」を注ぎ込むだけでは、おそらく事態はいい方向へは向かわないでしょう。
私たちはポスト3・11の時代をいかに生きてゆかなくてはならないのでしょうか?
それを考えるためには、体だけでなく頭(思想)のトレーニングもまた必要なのだと思います。
正直言いまして、この本はなかなかに難しくとっつきやすいものではありません。
しかし、この本を読み終えたみなさんは、きっと桑原武夫氏の評に納得することでしょう。
自らの脳みそに負荷をかけることで、おそらくはとてつもなく厳しい時代になるであろう、3・11後の世界を生き抜く思想を身につける一助となればと思ったのが、本書の電子書籍化を思い立った理由です。

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戦後日本の思想

株式会社志木電子書籍
代表取締役 京谷六二

※なお『東京電力福島第一原発とマスメディア』も引き続き好評発売中です。
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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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