2012年1月28日 (土)

「テレビ帝国の教科書」 ボイジャーストアより発売!

先日来、ご案内しておりました、

書名: 『テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!』
著者: 岡庭昇(元TBSドキュメント・ディレクター)
価格: 500円(税込)

がボイジャーストアより発売となりました。

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ボイジャーストア『テレビ帝国の教科書』

以下は、「はじめに――メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ」からの抜粋です。

 イヴァン・イリイチは、『学校化社会からの脱却』を著して、現代市民社会における学校化現象を批判し、そこからの脱却を提案した。それにならっていえば、わたしは早急なる“テレビ化社会からの脱却”を提案したい。“テレビを消せ”などという、つまらないお説教をしたいのではない。テレビを消しても、どうにもならない。逃避を試みても、その社会の内側に囚えられているという現実からは逃げられない。学校化社会からの脱却が、何よりも学校のホンシツと、学校化現象に蝕まれた市民社会への批判的な考察であったように、われわれはこの脱出のためにこそテレビに積極的に関わってみなければなるまい。
 この考察は四つの軸をもっている。

 ①は、テレビが(メディア・ファシズムが)しばしば武器として用いるスキャンダルは、どういうカラクリに充ちているのか、という問いである。この考察こそ本書の柱であり、ロス疑惑やかい人21面相を例にとりながら、第Ⅰ章にまとめた。

 簡単にいえば、テレビが送り出すさまざまな現実像のなかに、その一種類としてスキャンダルがあるのではない。すべての映像がスキャンダルである。あるいはすべての映像をスキャンダルとして処理するところにのみ、テレビがテレビとして成立している根本がある。そして、このようなものとしてのスキャンダルは、かならず権力悪としてのスキャンダルを背後にかくす役割をはたすのである。ちょうどテレビの送り出す明るい日常現実像が、現実の暗部を差別的に切り捨ててしまう役割であるのと、それはセットになっている。もっともらしい現実(NHKニュースのなかの市民社会)は、じつはさりげないイベントなのだが、それをホンモノに見せるために、もうひとつのどぎついイベントであるスキャンダルが演出されるのである。そこにマジメ=ホンモノ、不マジメ=ウソという迷信的二元論が交錯して、イベントとしてのニュースを現実像に粉飾することになる。

 ②は、テレビとはそもそもいかなる存在なのか、というホンシツ論である。このホンシツ的なメディア考は、なるべくホンシツ論議らしからぬ日常的なエピソードとして、第Ⅱ章にまとめた。
 ホンシツなどとは無縁なところに存在していることによって、ホンシツ的な批判から免れている(テレビへの悪口にロクな批評があったためしがない)のが、テレビのホンシツだからである。

 かくて、メディア・ファシズムの定義は、テレビをはじめとするマスコミが、用意した“像”をもって現実をフィクションする機能である、ということになろう。これが③である。この考え方については、第Ⅲ章で述べた。
 そしてスキャンダルもまた、ニセのスキャンダルによってかくされている。われわれがふつうスキャンダルと思っているものは、スキャンダルをかくすためのそのニセモノなのである。つまり、

 ④メディア社会は、すべてが逆説のカラクリに充ちていて、素直なヒトほどだまされてしまう。このカラクリの見抜き方を、第Ⅳ章でしめくくった。

 一般的に現代は情報化社会といわれる。むろん情報化社会とは、情報が不自由な社会のことである。ウソの情報ばかりが意図的に氾濫させられ、真の情報がかくされる時代の呼び名なのである。ここをまちがえてはいけない。だが、いかにわたしががんばったところで、たれ流されている大量のウソ情報の代わりに、ひとつひとつ真の情報を提示するなどということはできない。情報はいつも権力に所属し、その手によってかくされている。ただ、あらわれた限りでのフィクションとしての情報を読み替えることはできる。

 娯楽番組をやるときは笑顔で、ドタバタヴァラエティをやるときは純粋に不マジメな態度で、そしてニュースを報道するときは表情をひきしめて……というのがテレビの、よく考えてみればじつに奇妙な、グロテスクなしきたりである。そして、ホンシツをいえば、マジメな顔のニュースほど、じつはつくりものであり、しばしばウソッパチでもあるのだ。人々は多く、メディアのトリックであるところの“ヒトの態度がコトのなかみを決定する”というしきたりに慣らされてしまっている。そのためおふざけ番組は俗悪で、マジメな顔のニュースは真実だと条件反射する。しばしば条件反射が充たされないときは、やみくもにテレビに向かって反発する。なぜしきたりどおり、永野の死体が病院に運ばれたあとの“現場”をニュースしないのか、という程度の意味しかもたない抗議電話はこのわかりやすい例である。

 たとえば、いっけんぶっきらぼうな態度だが、とりあげていることがらへの真摯さがその奥にうかがわれる、というのはだめで、みるからに虚偽のとりつくろいで、対象に関心をもっていないマジメ風ないんぎん無礼は、大いに歓迎する。その結果、たとえば多くのNHKアナウンサーのような不気味な存在が出来上がってしまうのである。

 この逆立ちは、視聴者自身にはね返っている。“ヒトの態度がコトのなかみを決定する”という錯覚によって、大マジメな顔の情報は(記者クラブ発表のニュースは)それだけでホンモノだとうけとられる。やすやすとフィクションが流布される。大マジメな顔のアナウンサーと大マジメな顔の視聴者がメディアと共犯しつつ、物語を現実にすりかえる不マジメな作業にうちこんでいるということだ。

 さきほどもいったが、まさにあなた自身の問題として、いま、ほんとうに深刻にこのメディア・ファシズムの状況をふり返ってもらいたい。オレは何もしていない、ただ新聞やテレビから情報を与えられているだけで、そこにウソや物語がふくまれていればオレも被害者だ、というかもしれない。それもたしかに一面の真理だ。だが、一方的に被害者ではすまないところに事態がきていることもたしかなのである。

 この、くるところまできてしまったメディア・ファシズムの頽廃のなかで、なお“ただ与えられている”としたら、それはとりもなおさず共犯以外のなにものでもないのである。メディアほど受け手(消費者)の顔色をうかがっているものはない。わたしは従来つねにテレビ、新聞、週刊誌のつくり手を批判してきたし、これからもやってゆくつもりだが、近年“王様”としての視聴者“市民”の犯罪性を痛感することが多い。

 読者諸君、いますぐあなたの位置を徹底して検証せよ。そうでないと、とりかえしのつかない事態をあなた自身の手でつくり上げてしまうことになるだろう。

個人的な感想を言わせていただければ、上記の抜粋の最後の部分「とりかえしのつかない事態」は福島第一原発の破局事故で起きてしまったと思います。
しかし、それでもなお、政府やメディアの流す「福島は収束しつつある」という情報(あるいは「空気」)をアプリオリに信じてい国民が圧倒的に多数であることも事実です。
しかし、だとすると、岡庭論に従えば、さらにさらにとてつもない事態が起きてしまうかもしれません。
それを避けるためには、今こそ情報を正しく読む力をつけることが必要です。
本書は必ずそのお役に立てるものと確信しています。

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2011年10月17日 (月)

『週刊岡庭昇41』 ~ 虚無国家ニッポン。

少し間隔があいてしまいましたが、『週刊岡庭昇』、その41、「虚無国家ニッポン。」をお届けします。

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週刊岡庭昇 41 ~ 虚無国家ニッポン。
(2011.9.20記) 

 散歩の途中、窓に向かってビル一階の椅子に腰掛けでいるわたしの前を、若い母が通り過ぎる。赤ん坊をおんぶと反対に首から下げている。霧のような淡い雨だが、間違いなく黒い雨が降り続いている。母親は傘もささず、乳母車なら辛うじて備えている屋根さえない。ちょっとわたしはびっくりするが、まだ暑い季節が続いているから気にも留めないのだろう。だがむろん、福島第一原発の爆発から半年、事態は何も換わっていないことは明白だ。
 どうしてこんなにむちゃなことをするのだろう。まさに実存としか形容出来ない一幅の絵である。なにもこの若い母を叱るわけではないが(そんなおっせっかいをするには、この国には絶望し切っている)、ちょっと報道を締めてある問題の露出を避ければ、事実は立ちどころに存在しなくなってしまう。例によって例のごとし、である。これほど操作しやすい「国民」もあるまい。
 昨日は原発爆発担当大臣が、冷温停止状態という目標は対策が進み、年内にも問題が解決するような演説をIETAで行った。またもペテンか? あてのない解決を、言い続けることが政治なのか。しかしペテンを前提にして、原発周辺の住民を家に返そうとする欺瞞に連続するのだから、放って置く訳にもいくまい。
 現実に触れないようにする操作と、ばらまかれるペテンの組み合わせ、それに嫌なことは極力忘れるように努める国民性との三位一体で、肝心な事実はいつものように雲散霧消する。あらゆる対抗理念の試みは挫折し、江戸時代はすっかり蘇った。不満を持たず従え。さすれば自分だけは救われる……。
 東電がすっかり増長して、被害者である国民に加害者たる自己の尻拭いをさせて平然としているのも当然なのかも知れない。加害者が被害者に事態の責任を負わせている端的な例は「節電」協力、正しくは強制である。暑い8月、近所の旨いコーヒー喫茶店は、「ギンギンに冷えてます」と謳って心意気を示したが、いつのまにかその看板を取り下げた。彼は何も言わないが例の文法、身近の人々や業界の、あれは「やっぱり」まずいよ、「この際だから」という情緒的な圧力があったことは容易に伺えるのだ。そうやっていつもこの国では、誰が悪いのかが問われることはない。すっかり安心してるだろ! 戦犯=原発=東電さんよ。
 2011.9.17の『東京新聞』朝刊の『こちら特報部』は、戦犯=東電のさらにつのる傲慢さを教えてくれる。「見出し」だけで、どんなに傲慢か分かる。

《東電 反省ゼロ/「知的財産守るため」/事故対策手順書 真っ黒/節電感謝 社長の姿なし/無神経な強気/値上げ武器 再稼働迫る/識者「まず総括原価方式変えよ》

 説明の必要はあるまい。恥知らずの開き直りに、つける薬などありはしないのである。そういうものには「解体」を希望するしかないのだ。
 2011.9、震災半年の時点で、福島第一原発爆発の隠された秘密のうち、明らかになった事実は大きなものに絞っても三つある。いずれも民衆が怒って、革命騒ぎになっても不思議ではない「秘密の暴露」だが、この国では不愉快な「おインテリさま」が、自己のナルシズムを満足させるための正義の表出(というイベント)がせいぜいのところである。それは決まって抽象の正義であって、AC共同広告機構と同じ代物なのだ。
 2011.9までに露出した、政府=東電のデマゴギーは無数にあるが、決定的なものはいま言ったように三つある。すなわち福島第一原発が爆発以来、垂れ流して来た放射能の総量はヒロシマの39.6倍に達しており、しかもその被爆からの立ち直りがヒロシマの場合年1000に対してフクシマ原発の場合20と比較にならぬほど深刻であることが一つ。なかでもセシウムの場合、フクシマはヒロシマの400倍である、というのがその2である。そして被災当初、原発が適切に任務を果たしていれば、爆発は起きなかった可能性が具体的に調査で明らかにされた、というのがその3である。
 どれも大変な事実であり、原発そのものの存続において致命的である。原発再開論など、意見の違いも何でもなく、ためにする悪党の言い草にすぎない。こんな失態が明らかになっても、虚偽を続けてきた政府=東電はなお恬として恥じず、実際上帝王だと言われる東電会長は逮捕は愚か、辞任さえしない。この奇妙極まりない奴隷のおとなしさを必然しているのは、何よりも民衆の側の「いくら批判しても、所詮は原発がなければやっていけない」という日本型メイファーズである。しかし一体誰が、そんなことを決めたのだ!
 実は財界=政界=マスコミによるスタート時点での、未来学的な蒙昧と楽天を引き摺った、根拠なき原発必要悪論こそが欺瞞の根源である。原発必要悪説を断固糾弾せよ。そんなことは刷り込まれた虚構で、ちっとも自明ではないと知るべし。
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Gwngos

かくもさまざまな言論操作

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2011年10月 5日 (水)

志木電子書籍 新刊のご案内 ~ 『光文社争議団』

このたび、10月7日に弊社の新刊を発売いたします。
タイトルは『光文社争議団』です。

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これは私が昨年まで25年間在籍した光文社で1970年に起きた労働争議の記録です。
この争議は解決までに6年半を要しました。
1970年4月、当時の経営者・神吉(かんき)晴夫(カッパ・ブックスの創刊者です)のワンマン経営に批判が噴出、光文社労組は無期限ストライキに突入します。
しかし、会社側も黙ってはいません。経営陣は総退陣しましたが、次の経営陣は争議ゴロを取締役に就任させ、同時に警備員という名の暴力団を導入。会社をロックアウトします。
さらに組合を分裂させ、新たに全光文社労働組合(第二組合)が誕生。多くの労働者が第二組合へと走り職場復帰します(ちなみに1985年に光文社に入社した私は、もちろん第二組合員でした。ただ、その中では厳しい意見を言う人間だったため、相当ににらまれていましたが、、、)。
光文社労働組合(第一組合)に残った人々は、しかしこの闘争を諦めず、暴力団に殴られても蹴られても、あるいは警察(大塚警察署)が介入してきても闘い続けました(大塚警察署は講談社の隣にあります)。
激しい暴力、そして血が流れ、少なからぬ第一組合員が逮捕されました。
しかも、光文社経営の背後には親会社である講談社という強大な総資本が存在しています。
そして、最終的には第一組合対総資本の闘いとなります。
彼我の差は明らかです。
しかし、この闘いに第一組合は完勝しました。
実際、某大学法学部で労働法を専攻した知り合いによれば、当時のゼミの教授は「光文社闘争というのは法律的に見れば組合側の完勝」と言ったそうです。
実はマスメディアでも多くの労働争議が起きていますが、このような形で記録が残っているものはほとんどありません(記し遅れましたが、この本は1977年に刊行されたものです)。そういう意味で、この記録は稀有なものです。

私が光文社に入社した時には、すでに表面的には争議の影響はありませんでしたが、しかしそれなりに名残はありました。それを書くとキリがないので、またいずれかの機会としますが、、、

ところで、これはどこの企業でも同じようなものだと思いますが、光文社でも試用期間が3カ月あり7月に正社員となります。そして、争議後の新入社員はほぼ自動的に第二組合員となるわけですが、私の入社する前年までは、7月になると第一組合の方からこの本をプレゼントされていました。しかし、残念ながら私の年から品切れになったらしく、以後、この本が新人に配られることはなく、借りて読むしかなくなりました。
したがって、もちろん私もその昔に先輩からこの本を借りて読んだものです。
当時、どのような感想を持ったかはすでに忘れてしまいましたが、しかし今、改めて読み直してみると、さまざまな感慨がわいてきます。
まず、第一組合、第二組合を問わず、この本に出てくる方々の中で、亡くなられた方が少なからずいます。その中には良く知っている方ももちろんいます。
また、光文社はこの争議解決から三十年後、いろいろな原因で経営が悪化し始め、昨年、リストラを行なうことになりました。その経緯はたぬきちさんの「リストラなう!」に詳しいですが、本書を読むと私には1970年の労働争議当時と、「リストラなう!」がシンクロしてきます。
もちろん、この二つはまったく違うものですが、しかしどこかでつながっていることも事実です。そういうことは、いずれこのHPか、あるいは私の個人ブログで少し書いてみたいと思います。

さて、しかし今回、私がこの本を電子書籍にしてみようと思ったのは、また違う理由があります。
現在、日本は3月11日に起きた東日本大震災によって大変な影響を受けています。なかでも福島第一原発の破局事故による影響は、もはや日本ばかりか海や空を通じて世界中にまで影響を及ぼしています(断るまでもなく、私はもちろん地震、津波に襲われた地域の方々のことを忘れているわけではありません)。
京都大学の小出裕章助教は、「いま福島で起きていることは戦争以上にひどいことだ」と発言されています。
しかし、にもかかわらず日本の多くの人々は、メディアの報道などによって、なんとなく福島第一原発は収束しているように思い、もはや自分たちにはあまり影響のないものと思っています。
ところが現実には、首都圏にでさえ、日本の法律を厳密にあてはめれば放射線管理区域にしなければならない場所が少なからずあるのです。
そういう状況であるのに、現在、政府では原発を再び稼働させようという動きがあります。そして東京電力は、あれだけの事故を起こしながら、何の責任を問われることもありません。
なぜそのようなことになるのか。
それは電力会社と権力がガッチリと結びついているからです。
3・11以後、国民の間でもやっと脱原発の意識が芽生え始め、過去にない規模のデモが行なわれるようにはなりました。昔から原発に懐疑的だった私からすれば、これは凄いことではあります。
しかし、まだまだその人数はぜんぜん足りません。そして、現状、原発マフィアの側はまだまだ国民をなめきっており、その壁は分厚くしかも高く聳え立っています。
そういう存在を相手にするには、よほど市民の側も腹をくくらなければならないと思います。
先日の反原発デモでも少なからぬ人が逮捕され、また山本太郎氏が告発されたりするような状況が起きていますが、しかしこのようなことはまだまだ序の口で、本気で脱原発を目指そうとすれば凄まじい弾圧が起きることは間違いありません。
権力と闘うとは、つまりそういうことなのです。
本書に登場する労働者も徹底的に弾圧されています。しかし、当時の人々は苦しいながらも熱い気持ちを持って抵抗に抵抗を重ねました。仲間からどんなに逮捕者が出ようとも、それは変わりませんでした。
そして、彼我の差は圧倒的である巨大資本に対して、最後は完全勝利をおさめることができたのです。
私はこの記録を今こそ、是非、多くの人に読んでいただきたいと思っています。

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2011年9月13日 (火)

『週刊岡庭昇』より ~ 「風評被害という呪文」をご紹介いたします

お陰さまで、弊社が刊行した『東京電力福島第一原発とマスメディア』、『戦後日本の思想』、『かくもさまざまな言論操作』はいずれも堅調な売れ行きを示しています。近々、第四弾も刊行いたしますが、これもまた大変に興味深い書籍ですので、是非、ご期待ください!
さて、本日は、『かくもさまざまな言論操作』の著書である岡庭昇さんが、個人的にお知り合いの方に出している(限定6部!)『週刊岡庭昇』の本年7月18日号を転載いたします。題して「風評被害という呪文」です。
なお、当ページでは、これからも『週刊岡庭昇』の一部を転載してまいりますので、どうぞご期待ください。

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週刊岡庭昇 32 ~ 風評被害という呪文
(2011.7.18記)

 風評被害という言葉について考える。
 結論をはじめに言っておくが、風評被害とは体制が(つまり官僚独裁が)、隠し通して来た情報が明らかになろうとするとき、それを是非もなく(つまり根拠を示さず)打ち消す暴力的なムード言語である(というように、かねてわたしの邪推は定まっている)。
 わたしは、1980年代を中心に、ハマチ産業等の薬漬け養殖、無茶な減反が生んだ米不足、つまり年間に国民が消費する標準米が決定的に足りなくなった事実と官僚による隠蔽、隠蔽の延長上に、危険を含む飼料用米を学校給食に送り込むなどの国家犯罪の疑いや、学校建築にアスベストが多く使われている事実と、その対策はなし崩しになったのではないかという疑い、さらに原発にマルタン(炭鉱離職者)を送り込むシステムが、労働手配師と電力が組む陰謀としてあったと推断せざるを得ない事実等、制度としての情報とか報道とは、すぐれて「情報隠し」のためにあるのではないかと思いつつ、その証拠のようなTVドキュメントを世間に届けた。
 老人の手柄話をやりたいのではない。25年からの日月が経って、いったい何が改善したのかと溜め息を吐いている。この嘆きは、いま挙げた例からも、一見して明らかであろう。お前は結局、いまでも通用すると威張ってる? それは手柄ではなく、紛れもなく悲嘆なのだ。わたしのドキュメントは、ただわたしを虚無主義者にしてくれただけだった。おかげでわたしは、高級な虚無哲学者として、銭ゲバ日本の現実に興味を持たなくなった。
 ただ恐らくは官僚独裁からのカウンターパンチとして、90年代に「風評被害」という言葉が作られたことは鮮やかに覚えている。「TVと気分を重ねた」ムード言語に支配される日本では、これで独裁は完璧に勝利を納めるだろうと思ったのである。「意外な事実」がもし暴露されても、「風評被害」という言葉の名人芸によって、是非もなく粉砕するだろう、とわたしはつくづく感心して、さらに現実から虚無の方向へ去ったのである。
 東北関東大震災は、久し振りにこの「言葉の政治」を思いださせてくれた。まず「風評被害」という言葉は使わなかったが、原発爆発に対する、「諸外国の過剰反応」という言葉がいっせいに日本の隅々まで流布された。しかし諸外国といえども、特派員は多くの国が日本に置いているのである。奇妙な言い方をするものだと思っていたが、隠し切れずにいまやあきらかになったさまざまな、かつ一部の事実だけでも明らかなように、事実を伝えたのは諸外国のマスコミだけだった。
 この虚偽に乗っかって、「風評被害」という悪魔のキーワードが大活躍する。原発事故の現場の野菜や魚に放射能被害が出ても、安全なものもあるのだから、ひっくるめて言うのは風評被害であるというように。しかしわれわれはクイズをやっているのではない。正解が決まっている環境問題などというものはない。危険な「可能性」が現実に存在するとき、「風評被害」などという批判は原理的に存在しないのである。生命・身体にとって、悪魔はこの「悪しき可能性」なのだから。
 現に汚染の確認は、いまだ後から後から続く。「風評被害」などという魔法の呪いでは、現実は救済されないのである。農民や漁民のふってわいた不幸を断ち切ろうとする努力は心情として当然のことだ。しかし農民や漁民はただ被害者なのであり、事態に責任を取ろうなどと考えるべきではない。一億総懺悔路線を刷り込んで、独裁はまたごまかそうとしているが、これは紛れもなく東電の犯罪であり、徹底して加害者東電から損害を支払わせ、全部資産を吐き出させた後は(あくまでも後だよ)国家に引き継ぐべきである。「悪しき可能性」という事実を懸念する者に、「風評被害」という汚名を投げ付け、ちょとやそっとで回復しない土地での農漁業の回復を焦るなどは、真犯人をうやむやにすることにもなりかねない。
 風評被害という言い方がマスコミに登場したら、まず警戒することだ。独裁に都合の悪いどんな事実が、今回は隠されているのだろうかと。
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Gwngos

かくもさまざまな言論操作

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2011年9月 5日 (月)

本日、『戦後日本の思想』発売しました!

先日来、ご案内しておりました弊社電子書籍の第二弾、『戦後日本の思想』が本日18時よりボイジャーストアにて発売となりました。
本書はタイトル通り、戦後日本の思想の古典的名著で、以前のエントリーにも記しましたとおり、1959年に中央公論社から刊行されて以降、勁草書房、講談社学術文庫、そして岩波書店で二度にわたって書籍化されております。
今回は刊行記念ということで、中央公論社版のカバー右ソデに入っていた桑原武夫氏の評をご紹介いたします。

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 名著『現代日本の思想』において、思想を紙の上に定着されたものとしてでなく、社会に生きて人々を動かすものとして捉える新技術をあみ出した久野、鶴見両氏は、ここに新鋭藤田氏を加えて、私たちが今そこにすむ「戦後日本の思想」の検討に見事な成果をあげた。
 敗戦によって様相を一変した思想界に、たんに進歩、保守の対立を見るのみでなくそこに文学的、社会科学的、土着的の三発想法をからませ、さらに、日本人がいかに戦争体験をうけとめたかをさぐる。この六本の柱の検討にあたっては、まず柱のさしこまれている土質にふかい関心を示しつつ柱の支える家屋構造を明らかにする綿密な「報告」を行ない、さらに三人の自由討議によって、その彫りをふかめてゆく方法をとっている。定言的な結論を期待する怠惰な読者は、そこにあまりに多くの、時として相反しさえする観点を見出して、戸まどい的不満をもつかも知れぬ。しかし、思想とは自ら苦労して身につけるべきものと知る誠実な読者は、楽しい自由選択の知的作業をなしつつ、読みおわるとき、戦後思想の潮流の大別をいつしかわがものとしたことに気づくであろう。知性にとって最上のおくりものとして推せんする。
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いま日本は第二次世界大戦後最大の、というよりも歴史上、始まって以来の最大の国難に直面しています。
そうした中で、もちろんいま最優先に求められているのは福島第一原発が撒き散らかす放射能災害の収束、そして東日本大震災の爪あとからいかにして復興への道筋をつけるかということであることは言うまでもありません。
しかし一方で、ただ闇雲に「ヒト、モノ、カネ」を注ぎ込むだけでは、おそらく事態はいい方向へは向かわないでしょう。
私たちはポスト3・11の時代をいかに生きてゆかなくてはならないのでしょうか?
それを考えるためには、体だけでなく頭(思想)のトレーニングもまた必要なのだと思います。
正直言いまして、この本はなかなかに難しくとっつきやすいものではありません。
しかし、この本を読み終えたみなさんは、きっと桑原武夫氏の評に納得することでしょう。
自らの脳みそに負荷をかけることで、おそらくはとてつもなく厳しい時代になるであろう、3・11後の世界を生き抜く思想を身につける一助となればと思ったのが、本書の電子書籍化を思い立った理由です。

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戦後日本の思想

株式会社志木電子書籍
代表取締役 京谷六二

※なお『東京電力福島第一原発とマスメディア』も引き続き好評発売中です。
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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011年8月30日 (火)

第二弾『戦後日本の思想』、及び第三弾『かくもさまざまな言論操作』についてのお知らせ

前エントリーでもお知らせした、久野収、鶴見俊輔、藤田省三著『戦後日本の思想』が間もなく発売されます(具体的な期日はまだ決定していませんが、1週間以内に発売する予定です)。

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さらに続けて、岡庭昇著『かくもさまざまな言論操作』をリリースいたします。
この本は1998年に出版された本ですが、今日の政治、メディアの問題を余すところなく指摘している点でまったく古くないどころか、いまもその問題点は一つも解決されてはいないことを実感します。
今回は、新たに「究極のニヒリズムを越えて――原発社会との対峙」という書き下ろも加えられています。
また、本書の発売を記念して、岡庭氏が個人的に配布している「週刊岡庭昇」を当ブログ、及び「誰も通らない裏道」で一部、掲載いたします。
どうかご期待ください。

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011年8月21日 (日)

志木電子書籍、第二弾のお知らせ

現在、志木電子書籍で進めております、次の刊行予定本についてお知らせいたします。
『東京電力福島第一原発とマスメディア』に続く弊社の第二弾 は、

久野収、藤田省三、鶴見俊輔 著 

『戦後日本の思想』

です。この本は1959年に中央公論社より刊行されましたが、その後、勁草書房(1966年)、講談社学術文庫(1976年)、岩波書店「同時代ライブラリー」(1995年)、同じく岩波書店「岩波現代文庫」(2010年)と5回にわたって書籍化された戦後思想の名著です。
今回、弊社ではその電子書籍化をいたします。
1945年(昭和20年)の敗戦に匹敵する危機に直面している今、是非、ご一読いただきたいと思います。
具体的な刊行日は後日、お知らせいたしますが、おそらく九月の上旬になると思われます。

さらに、立て続けにもう一冊も予定しております。
さらにさらに、九月から十月にかけて、怒涛の新刊攻勢をかけてまいりますので、どうかご期待ください。
また、引き続き『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』もよろしくお願いいたします。

Small
『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011年8月14日 (日)

志木電子書籍からの第二弾、第三弾についてのお知らせ

志木電子書籍では、今月末から来月初旬にかけて、新刊二冊を発行する予定となっております。
いずれも書き下ろしではなく、既刊本の電子化となります。
一冊は社会思想系の、いわゆる名著に入るもので、もう一冊は社会評論系のものです。
前者は相当に古い本で、後者も十年以上前の本ですが、今読んでもまったく古いと感じることはありません。
当社の電子書籍は、このような本を掘り起こしていくことに力点を置いてまいまりす。
是非とも書名の発表までお待ちください!

なお、既刊本の『東京電力福島第一事故とマスメディア』は依然として本日の11時時点でボイジャーストアの総合ランキングにランクインされております。
引き続き、よろしくお願いいたします!

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011年8月11日 (木)

『東京電力福島第一原発とマスメディア』に関するお知らせ

『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』に関するお知らせを一つさせていただきます。
この本は電子書籍の形態のみで販売しており、紙の書籍ではありません。したがいまして、書店では販売していないことをご了承ください。

現在はボイジャーストアのみで販売しており、パソコン、iPhone、iPadでの購読が可能です(データの形式はドットブックですが、今後、シャープのXMDF形式やEPUBにも対応していく予定です)。

なお、ボイジャーストアでは、現在、総合ランキングにランクインしておりますが、売れているのか? それとも電子書籍がまったく売れていないなかで、知人、友人が買っているから売れているのか? まだわかりません(^_^;)。
そういう状況ですが、是非、ご吹聴のほどお願い申し上げる次第です。

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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2011年8月 9日 (火)

新刊情報

当社の最初の新刊情報です。
著者は、、、当社の代表者(つまり自分)です(^_^;)。
究極の自炊ということになります。
この書籍は、私が2006年より開設していた「誰も通らない裏道」というブログの中から、原発とメディアの問題について書いたエントリーをピックアップして、それに加筆、修正を加えたもので、タイトルは『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』です。

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日本の歴史上、最悪の核災害はなぜ起きたのでしょうか?
どうして、マスメディアはことここに至っても、まともな報道ができないのでしょうか?
そんな原発事故とマスメディアの関係を3.11以前、3.11以降の2部に分けて編集しました。また、私の3・11体験についても書き下ろしてあります。
以下は主な目次です。

 第一部 「3・11」以前
  ・盗まれた都市
  ・原発は高い
  ・予定調和国家
  ・すべては予見されていた
  ・北朝鮮より立ちの悪い会社
  ・世界の独裁者があこがれる国
  ・柏崎原発――想定内の事故
  ・原発事故とオール電化住宅
  ・燃料電池と原子力発電
  ・真っ当でない連中と真っ当な方
  ・広告で雑誌のお里が知れる?
  ・亡国の官僚たち
  ・“電池の時代”が暴く原子力産業の闇
  ・不敬企業、不敬メディア
  ・地震の際の原発関連ニュースは発表ジャーナリズムの典型である
  ・東海地震と浜岡原発関連~溝上教授のコメント
  ・マスメディアこそが虚業だった
  ・広告不況がもたらすマスメディアのもう一つの劣化
  ・原発広告とメディアの関係

私の「3・11」

第二部 「3・11」以後
  ・圧倒的少数派
  ・マスメディア総崩れの中で
  ・稼働中の原発はすべて止めるべきである
  ・平成の「神聖喜劇」は世界を巻き込み始めている
  ・神頼み国家になった日本
  ・戦争と原発事故の違い
  ・東京電力とメディアが事故後の広告料金を開示しなければならない理由
  ・東電はもはや本気で事態を収束させるつもりはない
  ・十万円訴訟でわかった東京電力の恐るべき本音
  ・東京電力に破防法適用を!
  ・前代未聞の核災害を“食”から考える
  ・東電の責任追及はテロとの闘いである
  ・原子力推進派にデモクラシーマインドはない
  ・菅直人の脱原発宣言を疑う
  ・これから首都圏に家を買うのはおやめない

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