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2012年2月29日 (水)

大泉黒石著
『人 間 廃 業』
著者略歴&立読み版!

※本書は来週3月7日(ボイジャーストア)以降、順次、各書店で発売の予定です。
発売日は順次、お知らせしてまいります。

書名: 『人間廃業』
価格: 420円

Haigyos

著者: 大泉黒石(おおいずみ・こくせき/1893-1957)
    ⇒ウィキペディア「大泉黒石

<<<<立読みコーナー>>>

立読み版は、「目次」と1章に相当する「慙服の巻」の冒頭部分です。
PDF立読み版の下に、テキストの立読み版もあります。
※PDF版は画面左下「Scribd.の右隣りにあるアイコン[view in fullscreen]のアイコンをクリックすると拡大されます(画面を元に戻す時には、[Exit Fullscreen]をクリックしてください)。
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『人間廃業』_立読み版

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【立読み版】

人間廃業

大泉黒石

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   目  次

慙服の巻
悶着の巻
絶倒の巻
寂滅の巻

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慙服の巻

「慙服(ざんぷく)」という文句がある。『北史李賢伝』の中にある。恐れ入って赤面することだそうだ。そこで今に偉くなってお目にかけますから見ておいでなさいと、親の前で見得を切ったが、一向偉くならんので慙服して坊主になったのが、聖オウガスチンだそうだ。今度の戦いには拙者、華々しく討死つかまつり、家門の誉れを後の世の語り草に致すでござろう、と親の前では立派な覚悟のほどを見せて置きながら、戦場へ出ると何時も生き長らえて退却するので、親に愛想をつかされて慙服のあまり、腹を切ったというのが山名氏清の伜だ。今度こそはおめがねに叶うような刀を打ちますから、お約束どおり師匠の後継(あとめ)をつがせてください、と正宗の前で腕を叩いて見せたのは天晴れだったが、作り上げた刀というのが、無類の悪剣でペケを食い、慙服して姿をくらました喜左衛門、即ち村正であると物の本に書いてある。
 物の本には書いてないが二十年ばかり前の或る日だ。半白の親爺が滅多に着たこともない金モールの洋服を着て勲章をブラ下げた。伜が驚いてどこへ行くんですか? と訊ねると、吾輩はこれから外国へ赴任するんだ。お前も早くこんな洋服を着て外国へ赴任するようにならなくちゃ駄目だよ、と伜の頭を叩いて言った。ふん、そうですかい。承知しました。そんなこたア、お安い御用だ。父上閣下! 及ばずながらも閣下の伜だ。お帰りまでには、ちゃあんと着ていますから、安心して行ってらっしゃい、と伜は昂然として請け合って見せた。請け合って見せるくらいだから、まんざら当てのないことでもなかったろうが、この伜、二十年後の今日に至るまで、金モールはおろかフロックを着るだけの身分にもなれない。なれそうな見込みすらないので、そろそろ慙服しなければ済まないことになってきた。だから親爺の手前、ともかくも慙服だけはしているが、思い切って坊主にもならず、男らしく腹も切らず、奮発して姿も隠さずに、ただ他人(ひと)様のご厄介になったり、往来の邪魔にならないのが関の山で、のんべんくらりと娑婆の穴を塞いでいるに過ぎない始末だから、むろん聖人にもなれず、物の本にも載せて貰えず、名人にもなれないのは当り前だろう。それで相済むのは、この伜の親爺が任地で死んだからだ。生きていたって、まさか坊主になれの腹を切れのと、古風なことを言う気づかいはないが、お前みたいな意気地なしは、窓からでも消え失せろぐらいの宣告はするかも知れないと思うと、この伜の耳は赤くなって冷汗が出る。冷汗では追っつかないような不面目を勘定したら幾らあるか知れない。むろん本人の不心得のいたすところだが、責任の片荷は運命の神様に背負わせて然るべきふしもある。あったって始まらん。持ち込む尻はどこにもない。ないから神妙に凹(へこ)んでいるんだが、なかんずく、金モールの親爺の手前も、ご自分の手前も、さらに申し訳なしと感ずるのは、この伜たるや、きまりの悪いほどの貧乏で酒のみで、おまけに文士と来ていることだ。肩書にもいろいろあるが、泥棒と文士ほど哀れ滑稽(おかし)きものは、世に絶えてないというのがこの伜の思惑だ。学問も知恵もないのは我慢するが、幇間(たいこもち)の帽子を被り、掏摸(すり)の眼鏡をかけて、洋服屋の看板みたいに、ひょろついている穀つぶしのくせに、生きているのは俺ばかりだと言わぬばかり高く止まって気取り澄ましている烏滸面(おこづら)を見ると浅ましくなる。「何物老嫗生寧馨児」と支那人が言った。どこの老婆(ばばあ)の臍の穴から、こういう人間の鉋屑(かんなくず)が出て来るのか、いやに薄っぺらで、ひねくれ曲がって、吹けばコロコロ飛んで行くというのは、この連中のことだ。黙って聞いていると、われわれこそは社会民衆の覚醒を促して、文化の向上を何とかする尊い先駆者だなんて、途方もない譫言(うわごと)をいう奴がいるのだ。「大きにお世話じゃないか。社会民衆だなんて柄にもない心配をするのはよしたまえ。社会民衆は君達を物の数にも入れちゃいないんだよ」と西洋人のマックス・ジャコブさんが仰有(おつしや)るのはそこだ。われわれこそは覚醒される方だと訂正するがいい。図々しい身のほど知らずめ。どんなに困ったって、そんな奴の仲間になんぞなるものかと思っていたのに、いつの間にやらズルズルべったりなっているんだから金モールの伜も悲観せざるを得なかった。もっとも始めからこうまで軽蔑してかかった訳じゃないんだ。商売仲間と交際(つきあ)っているうちに、右の思惑が確かになってきたのだ。だから何かの拍子で悲観の虫が被って来ると、もうこんな下等な人間のするような仕事は今日かぎり廃めちまって、納豆でも売った方が遙かに潔(いさぎよ)いということになるばかりじゃない、机を押しやって、いよいよ廃業に取りかかるのだ。納豆は後まわしでもいい。こう見えたってこの伜には数学の先生の資格もあれば、西洋人の言葉も少しばかり持ち合わせている。造船機の組立てや製図の真似ぐらいはやって見せる。人間に出来ることなら何でもやる。ただ残念なのは自転車に乗れないだけだ。乗れないのは乗らないからだ。乗らないのは虫が好かないからだ。だからもっと気の利いた商売もありそうなもんだと思って、一心不乱に駆けずりまわると、成る程これならという仕事の口にぶつかるから妙だが、南無三、その仕事をさせてやろうかという親方が、伜の履歴を聞くと驚いて逃げちまうのだ。良家のマダムに芸者あがりじゃ面白くないそうだ。学校の先生も、会社の技師も文士あがりの鰌髭(なまずひげ)には、勤まりかねますよ。おやめになったが利口です。エヘヘヘという挨拶だから、折角はりつめた気が抜けてゲッソリする。ついに退却だ。万事この筆法で扱われるのだからつまり、犬に食われるのが般若の面で、そこら近所の人間に舐(な)められるのが文士の面と相場は決まった。無理も砂利もありゃしない。何時もの口癖だが、青年ダンとか、爆ダンとか、文ダンとか、ダンのつく奴に碌なものはないのだから、馬鹿にされる価値は充分あるのだ。いや、このくらいの馬鹿あつかいは丁寧な方で、間の悪い時には五臓六腑に滲み渡るほど辛辣に翻弄されることがある。と、金モールの伜はつくづく考えるのだ。
 伜は一度宇都宮の文学有志に招かれて講演に行った。行くと匆々、公会堂にしては少し小(ち)っぽけなホールの壇上に突っ立ちながら、いささか滔々と弁じ終ったのが、ショオペンハウエルの悲観哲学で、汽車の中での思いつきだったが、わかるのかわからないのか、三百あまりの聴衆が口あんぐりの体(てい)で、下から弁士の顔ばかり覗いていたのは静かでよかったが、どう勘違いしてやって来たのか、一番手前に腰かけている薄汚い禿頭の爺さんが、目爛(くさ)れの赤ん坊を負んぶしたまま、ベンチの上にひっくりかえって、無作法千万にも寝こんでしまった。その爺さんの鼾が弁士の声を圧倒する勢いで轟々とひびきわたるんだから、すっかり参って引き下がると、待っていましたと言わぬばかりに、雲助みたいな面魂の男がのこのこと聴衆の中から現れて、演壇に這い上がった。紋付の下着に紋付の羽織を着流しているのは多分借り物だろう。袴を佩(は)いていないのは貸し手が見つからなかったんだろう、と思って見ていると紋付の男は、いきなり卓上のコップに手をかけた。金モールの伜の飲みかけた水が半分ほど入っているので、捨てるのかしらと思うと平気でグッと呷っちまって澄ました顔で、日の丸の扇子を振り上げながら、ポンと一つ卓子を叩いて、エエ今晩は! と敬(うや)々しくお辞儀をするから、金モールの伜も少々驚いて、ありゃ一体何ですか? と文学有志家の一人を捕まえて訊いてみると、これがこの土地で有名な新派浪花節の一飄亭熊吉だそうだ。熊吉か馬五郎か知らんが、苟(かりそめ)にも文学と銘を打った講演の席表にのさばり出るとは奇怪至極だと心外に思っていると、この熊吉が日の丸の扇子で拍子をとりながら、エエ! 只今はソウペンハウエルとか精進料理とか申スまスて、恐ろスく色気のないものをお聴きに入れまスたが、私はその埋め合わせに、お色気たっぷりの腥(なまぐさ)料理は「金色夜叉」を一席読みましょうでございます、と落ちつき払って襟をつくろうと、またコップの水をガブリとやって唸り出した──鼠のズクン、ツウガタの、スロク模様の毛織なる、ソールまとうた宮さんは、こなたの学生、焦茶なる、オンバコートに身をすくめ、フククルコガラス遣りスゴス、オクレス宮の辿りつく、オソスとマツス、クワンイツが……「ネイ、宮さん。今夜のカルタ会のダイヤモンドめ、いやにクザな野郎じゃねエか」「ほんとだわね。ワタスいやだわ」「嫌な者が何だって一つクムになるんだえ?」「そりゃ、クムはクヅだもの、スカタないさ」「ああダイヤモンド! 僕等の及ぶところじゃねえなあ!」「ス、ス、ス、ス、スらないわよウ!」──という調子っぱずれの獰猛(ねいもう)な東北弁だ。この辺の若い衆が、名物の干瓢畑で頬かぶりの姐さんを揶揄(からか)っているようだ。お宮が聞いたら後生ですからもうその辺で助けてくださいと言うだろう。貫一が聞いたら怪しからん侮辱だ、訴えると息巻くに違いない。しかもこれが聴く方の耳には立派に通じた上に、御意に召すこと一通りでないと見え、今まではまるで宙に迷った亡者みたいにベソかいていた聴衆が、俄かに元気づいて盛んに拍手する。熊吉は得意になってますます泡をふく。聴衆は愈々喝采する。子守りの爺さんまでが目を覚まして、威勢のいい嚏(くさみ)で応援する。と──お宮はストウ貫一の、名をばまたスも叫びたり……ここで熱海の浜の舞台が回るなら、何とかなるのかまた言上……ハイ。お退屈様──と、日の丸の扇子を紋付の襟に差して見得を切りながら、悠然と引き下がる熊吉に、ちょっと会釈して演壇の上にノッソリ現れたのが、お次の番で、赤いゴム靴に荒っぽい弁慶縞の半ズボンと来た扮装(ふんそう)は、正しく土方の元締か、それとも砂利運搬の請負師と睨める柄の、でっぷり太った親分だ。チョッキの釦にからませた太い金鎖を見てくれというふうに前に突き出して、脂(やに)っこい真っ赤な提灯面をツルリと撫でまわしながら口をふくらましてプウと息を吹いたかと思うと、ニヤニヤ笑い出した。どこかの居酒屋で五、六杯引っかけて来たのだろう。気味の悪い格好だ。いま熊吉が新派で当てたから、俺は旧派で一つ、神崎弥五郎の東(あずま)下りでも遣っつけようか、と言い出しかねない景色だ。この勢いで行くと今度は尻まくりの盆踊りに、オイトコソーダの伴奏でもやるべえかと、褌(ふんどし)を締め直して現れる篤志家があるかも知れない。もっとも会場の入口の看板には、ショオペンハウエルの他に余興あり。会費無料。傍聴歓迎と明らかに書いてあるから、講演がすんだ後で誰かピアノでもやるのかしらと、金モールの伜は考えていたので、別に伺いもしなかった。だからこの体たらくを見ると、さすがに驚いて呆れて、苟(いやしく)もショオペンハウエルと熊吉と半ズボンとが同席をするとは何事だ。失礼にも非常識にも程があると、幹事の面に抗議を叩きつけぬ訳にはいかんのだが、憤然として開き直るひまなんかありゃしない。お次の番だよ。お次の番だと勇ましく来ちまうのだから、ふん! こんな野蛮人どもに何を説諭したって始まらん話だ。二度と再び来さえしなきゃいいと諦めて、遣り切れない肚の閂(かんぬき)を遣り切れるように、シカと癪の虫を押さえるより他に仕方がなかった。もうこうなると、お次の番には何が飛び出すかわからないのだから、オイトコソーダや洗濯曹達に肝をつぶすこたア無い、と気を取り直して壇上の親分に好きな真似をさせて置くと、この酔っぱらいの半ズボンが、呂律のまわらぬ舌を出したり引っこめたり、石炭の講釈を始めたのは意外だった。エエ、ご承知のとおり。と言いながら、上衣のポケットから小さい石炭の塊を一片(きれ)つまみ出して──この石炭は文明のタマモノでありますから、皆様にとって便利なことは、もう確実でごぜえやす──と少々気違いじみてきた。石炭が文明のタマモノで皆さんにとって便利なこと確実である。序(ついで)に申しますが、半ズボンの私なんかは、文明のケダモノでありますから、皆さんの目ざわりになることは、もう確実でごぜえやすと言えば、丁度語呂が合いそうだ、と思って聴いていると──その石炭の中でも茨城産の無煙炭ときた日には、煙が出ないから煙突の掃除が略(はぶ)けてお女中さんは大助かり。値段が安いから奥さんは大喜び。実際皆様のお家庭に日常お使いなさるにはこんな誂え向きの品はごぜえやせんよ。そういう訳で、今回手前どもは、当地において茨城産の無煙炭小売店を新設いたしやしたに就ては、この文明のタマモノのご利用を切におすすめ申す旁々、これを御縁に是非とも手前どもへ御用命仰せつけられ、御贔屓あらんことを偏えに御願いする次第でごぜえやして、手前どもの名刺と炭の値段書きを只今一枚ずつ差し上げることにいたしやすから、それによって御注文下さるように……ハイ! これで今晩は閉会といたしやす。皆様。御苦労さんでやした──とお辞儀をして降壇するのだ。いくらなんでもこれには皆毒気をぬかれたろう。と思ったが一向そんな様子もないのだ。文学有志家の一人が何時の間にか、石炭屋の小僧に早変りして、配って歩く紙片を神妙に貰っているんだから度し難い無神経ばかり揃ったもんだと思った。これが済むと今度は金モールの伜に向かって、宇都宮見物の御案内をいたしましょうかと文学有志連が挨拶するから、お交際(つきあい)はもう沢山です。サヨウナラと停車場へ駆けつけて上野行三等に飛び込むと、有志連が追っかけて来て、窓ぎわでお辞儀をしながら、──エエ今回は遠路はるばるお運び下さいまして有益なるお話を賜わり、お蔭さまで盛会の光栄を得ました。甚だ軽少ながらこれは私等一同感泣のしるしです。どうか御笑覧ください。──と言いながら有志の一人が懐に手を突っ込んだから、金の十円もくれるかしらと思って
「そいつはお気の毒ですな」と礼を言うと、
「いえ、何、その、エヘヘ」
 と頭を掻きながら、掴み出したのが細長い紙包みだ。窓口からポンと投げ込んで、
「先生の奥さんに上げてください。では御機嫌よろスウ!」
 と言った。汽車が動き出すと一緒に紙包みをあけて見ると、かもじが出て来たからオヤと思った。とんだ御笑覧だ。到れり尽せりの待遇に感泣したいのはこっちだろう? つらつら観(おも)うにこの文学有志連の中には石炭屋の息子か小僧かがいるのだ。薪や炭団(たどん)と違って石炭は文明のタマモノだから、開店披露をするにも多少ハイカラのお客さんを集めて吹聴する必要がある。そこで金モールの伜でも引っぱり出して、何でも好きなことを饒舌らせると、奴さんのことだから偉そうな熱を吹くに違いない。お礼には売出し景品の「かもじ」かバケツでもやれば喜んで帰るだろう? してみると費用ぬきで広告が出来る訳だ。一挙両得の名案じゃありませんか? どうです? と勧めたので、石炭屋の半ズボンが賛成して、その息子か小僧の仲間を狩り集め、木賃宿あたりに転がっている熊吉に紋付を着せてやらせたんだろう? 文学講演会とは表向き体のいい名前だから、つまり金モールの伜こそいい面の皮で、人よせのダシに使われているのも知らずに、汗を流して意志絶滅の肩を持つやら、ヘエゲルやフィヒテを罵倒するやら、独りでメートルを上げていたんだから世話はない。世話はないが怪我もない。怪我もないのは、まだ見っつけものだ、というのはその夏、金モールの伜は中国筋の或る港街の文学有志連に頼まれて、よせばいいのに性懲りず出掛けて行った。汽車で着いたのが講演会の前の晩だ。出迎えの有志連に頼んで宿を取ってもらい、宿の一室に蚊帳を釣って独り寝たまでは至極無事だったが、とろりと眠りかけてチンという物音に眼を開けると、枕もとに胡坐(あぐら)を掻いている奴がある。此奴が飲みさしのビール瓶を両手に持って喇叭(ラツパ)のみにガブガブ失敬しているのだ。よく見るとそれが汗とり襦袢に赤い腰巻の女で、蒼んぶくれの顔一面貼りつけた膏薬の上に、振り乱れ脱けかけている髪の毛がフラフラ靡(なび)いているのだ。何のことはない、お化け加留多でお目にかかる蒟蒻(こんにやく)島(じま)のブルブル女にお見舞いをうけたようにビックリ仰天して跳ね起きると、女はビール瓶を放り出して金モールの伜をじっと見た。見たかと思うとニヤリと笑った。
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