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2012年2月

2012年2月29日 (水)

大泉黒石著
『人 間 廃 業』
著者略歴&立読み版!

※本書は来週3月7日(ボイジャーストア)以降、順次、各書店で発売の予定です。
発売日は順次、お知らせしてまいります。

書名: 『人間廃業』
価格: 420円

Haigyos

著者: 大泉黒石(おおいずみ・こくせき/1893-1957)
    ⇒ウィキペディア「大泉黒石

<<<<立読みコーナー>>>

立読み版は、「目次」と1章に相当する「慙服の巻」の冒頭部分です。
PDF立読み版の下に、テキストの立読み版もあります。
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『人間廃業』_立読み版

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【立読み版】

人間廃業

大泉黒石

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   目  次

慙服の巻
悶着の巻
絶倒の巻
寂滅の巻

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慙服の巻

「慙服(ざんぷく)」という文句がある。『北史李賢伝』の中にある。恐れ入って赤面することだそうだ。そこで今に偉くなってお目にかけますから見ておいでなさいと、親の前で見得を切ったが、一向偉くならんので慙服して坊主になったのが、聖オウガスチンだそうだ。今度の戦いには拙者、華々しく討死つかまつり、家門の誉れを後の世の語り草に致すでござろう、と親の前では立派な覚悟のほどを見せて置きながら、戦場へ出ると何時も生き長らえて退却するので、親に愛想をつかされて慙服のあまり、腹を切ったというのが山名氏清の伜だ。今度こそはおめがねに叶うような刀を打ちますから、お約束どおり師匠の後継(あとめ)をつがせてください、と正宗の前で腕を叩いて見せたのは天晴れだったが、作り上げた刀というのが、無類の悪剣でペケを食い、慙服して姿をくらました喜左衛門、即ち村正であると物の本に書いてある。
 物の本には書いてないが二十年ばかり前の或る日だ。半白の親爺が滅多に着たこともない金モールの洋服を着て勲章をブラ下げた。伜が驚いてどこへ行くんですか? と訊ねると、吾輩はこれから外国へ赴任するんだ。お前も早くこんな洋服を着て外国へ赴任するようにならなくちゃ駄目だよ、と伜の頭を叩いて言った。ふん、そうですかい。承知しました。そんなこたア、お安い御用だ。父上閣下! 及ばずながらも閣下の伜だ。お帰りまでには、ちゃあんと着ていますから、安心して行ってらっしゃい、と伜は昂然として請け合って見せた。請け合って見せるくらいだから、まんざら当てのないことでもなかったろうが、この伜、二十年後の今日に至るまで、金モールはおろかフロックを着るだけの身分にもなれない。なれそうな見込みすらないので、そろそろ慙服しなければ済まないことになってきた。だから親爺の手前、ともかくも慙服だけはしているが、思い切って坊主にもならず、男らしく腹も切らず、奮発して姿も隠さずに、ただ他人(ひと)様のご厄介になったり、往来の邪魔にならないのが関の山で、のんべんくらりと娑婆の穴を塞いでいるに過ぎない始末だから、むろん聖人にもなれず、物の本にも載せて貰えず、名人にもなれないのは当り前だろう。それで相済むのは、この伜の親爺が任地で死んだからだ。生きていたって、まさか坊主になれの腹を切れのと、古風なことを言う気づかいはないが、お前みたいな意気地なしは、窓からでも消え失せろぐらいの宣告はするかも知れないと思うと、この伜の耳は赤くなって冷汗が出る。冷汗では追っつかないような不面目を勘定したら幾らあるか知れない。むろん本人の不心得のいたすところだが、責任の片荷は運命の神様に背負わせて然るべきふしもある。あったって始まらん。持ち込む尻はどこにもない。ないから神妙に凹(へこ)んでいるんだが、なかんずく、金モールの親爺の手前も、ご自分の手前も、さらに申し訳なしと感ずるのは、この伜たるや、きまりの悪いほどの貧乏で酒のみで、おまけに文士と来ていることだ。肩書にもいろいろあるが、泥棒と文士ほど哀れ滑稽(おかし)きものは、世に絶えてないというのがこの伜の思惑だ。学問も知恵もないのは我慢するが、幇間(たいこもち)の帽子を被り、掏摸(すり)の眼鏡をかけて、洋服屋の看板みたいに、ひょろついている穀つぶしのくせに、生きているのは俺ばかりだと言わぬばかり高く止まって気取り澄ましている烏滸面(おこづら)を見ると浅ましくなる。「何物老嫗生寧馨児」と支那人が言った。どこの老婆(ばばあ)の臍の穴から、こういう人間の鉋屑(かんなくず)が出て来るのか、いやに薄っぺらで、ひねくれ曲がって、吹けばコロコロ飛んで行くというのは、この連中のことだ。黙って聞いていると、われわれこそは社会民衆の覚醒を促して、文化の向上を何とかする尊い先駆者だなんて、途方もない譫言(うわごと)をいう奴がいるのだ。「大きにお世話じゃないか。社会民衆だなんて柄にもない心配をするのはよしたまえ。社会民衆は君達を物の数にも入れちゃいないんだよ」と西洋人のマックス・ジャコブさんが仰有(おつしや)るのはそこだ。われわれこそは覚醒される方だと訂正するがいい。図々しい身のほど知らずめ。どんなに困ったって、そんな奴の仲間になんぞなるものかと思っていたのに、いつの間にやらズルズルべったりなっているんだから金モールの伜も悲観せざるを得なかった。もっとも始めからこうまで軽蔑してかかった訳じゃないんだ。商売仲間と交際(つきあ)っているうちに、右の思惑が確かになってきたのだ。だから何かの拍子で悲観の虫が被って来ると、もうこんな下等な人間のするような仕事は今日かぎり廃めちまって、納豆でも売った方が遙かに潔(いさぎよ)いということになるばかりじゃない、机を押しやって、いよいよ廃業に取りかかるのだ。納豆は後まわしでもいい。こう見えたってこの伜には数学の先生の資格もあれば、西洋人の言葉も少しばかり持ち合わせている。造船機の組立てや製図の真似ぐらいはやって見せる。人間に出来ることなら何でもやる。ただ残念なのは自転車に乗れないだけだ。乗れないのは乗らないからだ。乗らないのは虫が好かないからだ。だからもっと気の利いた商売もありそうなもんだと思って、一心不乱に駆けずりまわると、成る程これならという仕事の口にぶつかるから妙だが、南無三、その仕事をさせてやろうかという親方が、伜の履歴を聞くと驚いて逃げちまうのだ。良家のマダムに芸者あがりじゃ面白くないそうだ。学校の先生も、会社の技師も文士あがりの鰌髭(なまずひげ)には、勤まりかねますよ。おやめになったが利口です。エヘヘヘという挨拶だから、折角はりつめた気が抜けてゲッソリする。ついに退却だ。万事この筆法で扱われるのだからつまり、犬に食われるのが般若の面で、そこら近所の人間に舐(な)められるのが文士の面と相場は決まった。無理も砂利もありゃしない。何時もの口癖だが、青年ダンとか、爆ダンとか、文ダンとか、ダンのつく奴に碌なものはないのだから、馬鹿にされる価値は充分あるのだ。いや、このくらいの馬鹿あつかいは丁寧な方で、間の悪い時には五臓六腑に滲み渡るほど辛辣に翻弄されることがある。と、金モールの伜はつくづく考えるのだ。
 伜は一度宇都宮の文学有志に招かれて講演に行った。行くと匆々、公会堂にしては少し小(ち)っぽけなホールの壇上に突っ立ちながら、いささか滔々と弁じ終ったのが、ショオペンハウエルの悲観哲学で、汽車の中での思いつきだったが、わかるのかわからないのか、三百あまりの聴衆が口あんぐりの体(てい)で、下から弁士の顔ばかり覗いていたのは静かでよかったが、どう勘違いしてやって来たのか、一番手前に腰かけている薄汚い禿頭の爺さんが、目爛(くさ)れの赤ん坊を負んぶしたまま、ベンチの上にひっくりかえって、無作法千万にも寝こんでしまった。その爺さんの鼾が弁士の声を圧倒する勢いで轟々とひびきわたるんだから、すっかり参って引き下がると、待っていましたと言わぬばかりに、雲助みたいな面魂の男がのこのこと聴衆の中から現れて、演壇に這い上がった。紋付の下着に紋付の羽織を着流しているのは多分借り物だろう。袴を佩(は)いていないのは貸し手が見つからなかったんだろう、と思って見ていると紋付の男は、いきなり卓上のコップに手をかけた。金モールの伜の飲みかけた水が半分ほど入っているので、捨てるのかしらと思うと平気でグッと呷っちまって澄ました顔で、日の丸の扇子を振り上げながら、ポンと一つ卓子を叩いて、エエ今晩は! と敬(うや)々しくお辞儀をするから、金モールの伜も少々驚いて、ありゃ一体何ですか? と文学有志家の一人を捕まえて訊いてみると、これがこの土地で有名な新派浪花節の一飄亭熊吉だそうだ。熊吉か馬五郎か知らんが、苟(かりそめ)にも文学と銘を打った講演の席表にのさばり出るとは奇怪至極だと心外に思っていると、この熊吉が日の丸の扇子で拍子をとりながら、エエ! 只今はソウペンハウエルとか精進料理とか申スまスて、恐ろスく色気のないものをお聴きに入れまスたが、私はその埋め合わせに、お色気たっぷりの腥(なまぐさ)料理は「金色夜叉」を一席読みましょうでございます、と落ちつき払って襟をつくろうと、またコップの水をガブリとやって唸り出した──鼠のズクン、ツウガタの、スロク模様の毛織なる、ソールまとうた宮さんは、こなたの学生、焦茶なる、オンバコートに身をすくめ、フククルコガラス遣りスゴス、オクレス宮の辿りつく、オソスとマツス、クワンイツが……「ネイ、宮さん。今夜のカルタ会のダイヤモンドめ、いやにクザな野郎じゃねエか」「ほんとだわね。ワタスいやだわ」「嫌な者が何だって一つクムになるんだえ?」「そりゃ、クムはクヅだもの、スカタないさ」「ああダイヤモンド! 僕等の及ぶところじゃねえなあ!」「ス、ス、ス、ス、スらないわよウ!」──という調子っぱずれの獰猛(ねいもう)な東北弁だ。この辺の若い衆が、名物の干瓢畑で頬かぶりの姐さんを揶揄(からか)っているようだ。お宮が聞いたら後生ですからもうその辺で助けてくださいと言うだろう。貫一が聞いたら怪しからん侮辱だ、訴えると息巻くに違いない。しかもこれが聴く方の耳には立派に通じた上に、御意に召すこと一通りでないと見え、今まではまるで宙に迷った亡者みたいにベソかいていた聴衆が、俄かに元気づいて盛んに拍手する。熊吉は得意になってますます泡をふく。聴衆は愈々喝采する。子守りの爺さんまでが目を覚まして、威勢のいい嚏(くさみ)で応援する。と──お宮はストウ貫一の、名をばまたスも叫びたり……ここで熱海の浜の舞台が回るなら、何とかなるのかまた言上……ハイ。お退屈様──と、日の丸の扇子を紋付の襟に差して見得を切りながら、悠然と引き下がる熊吉に、ちょっと会釈して演壇の上にノッソリ現れたのが、お次の番で、赤いゴム靴に荒っぽい弁慶縞の半ズボンと来た扮装(ふんそう)は、正しく土方の元締か、それとも砂利運搬の請負師と睨める柄の、でっぷり太った親分だ。チョッキの釦にからませた太い金鎖を見てくれというふうに前に突き出して、脂(やに)っこい真っ赤な提灯面をツルリと撫でまわしながら口をふくらましてプウと息を吹いたかと思うと、ニヤニヤ笑い出した。どこかの居酒屋で五、六杯引っかけて来たのだろう。気味の悪い格好だ。いま熊吉が新派で当てたから、俺は旧派で一つ、神崎弥五郎の東(あずま)下りでも遣っつけようか、と言い出しかねない景色だ。この勢いで行くと今度は尻まくりの盆踊りに、オイトコソーダの伴奏でもやるべえかと、褌(ふんどし)を締め直して現れる篤志家があるかも知れない。もっとも会場の入口の看板には、ショオペンハウエルの他に余興あり。会費無料。傍聴歓迎と明らかに書いてあるから、講演がすんだ後で誰かピアノでもやるのかしらと、金モールの伜は考えていたので、別に伺いもしなかった。だからこの体たらくを見ると、さすがに驚いて呆れて、苟(いやしく)もショオペンハウエルと熊吉と半ズボンとが同席をするとは何事だ。失礼にも非常識にも程があると、幹事の面に抗議を叩きつけぬ訳にはいかんのだが、憤然として開き直るひまなんかありゃしない。お次の番だよ。お次の番だと勇ましく来ちまうのだから、ふん! こんな野蛮人どもに何を説諭したって始まらん話だ。二度と再び来さえしなきゃいいと諦めて、遣り切れない肚の閂(かんぬき)を遣り切れるように、シカと癪の虫を押さえるより他に仕方がなかった。もうこうなると、お次の番には何が飛び出すかわからないのだから、オイトコソーダや洗濯曹達に肝をつぶすこたア無い、と気を取り直して壇上の親分に好きな真似をさせて置くと、この酔っぱらいの半ズボンが、呂律のまわらぬ舌を出したり引っこめたり、石炭の講釈を始めたのは意外だった。エエ、ご承知のとおり。と言いながら、上衣のポケットから小さい石炭の塊を一片(きれ)つまみ出して──この石炭は文明のタマモノでありますから、皆様にとって便利なことは、もう確実でごぜえやす──と少々気違いじみてきた。石炭が文明のタマモノで皆さんにとって便利なこと確実である。序(ついで)に申しますが、半ズボンの私なんかは、文明のケダモノでありますから、皆さんの目ざわりになることは、もう確実でごぜえやすと言えば、丁度語呂が合いそうだ、と思って聴いていると──その石炭の中でも茨城産の無煙炭ときた日には、煙が出ないから煙突の掃除が略(はぶ)けてお女中さんは大助かり。値段が安いから奥さんは大喜び。実際皆様のお家庭に日常お使いなさるにはこんな誂え向きの品はごぜえやせんよ。そういう訳で、今回手前どもは、当地において茨城産の無煙炭小売店を新設いたしやしたに就ては、この文明のタマモノのご利用を切におすすめ申す旁々、これを御縁に是非とも手前どもへ御用命仰せつけられ、御贔屓あらんことを偏えに御願いする次第でごぜえやして、手前どもの名刺と炭の値段書きを只今一枚ずつ差し上げることにいたしやすから、それによって御注文下さるように……ハイ! これで今晩は閉会といたしやす。皆様。御苦労さんでやした──とお辞儀をして降壇するのだ。いくらなんでもこれには皆毒気をぬかれたろう。と思ったが一向そんな様子もないのだ。文学有志家の一人が何時の間にか、石炭屋の小僧に早変りして、配って歩く紙片を神妙に貰っているんだから度し難い無神経ばかり揃ったもんだと思った。これが済むと今度は金モールの伜に向かって、宇都宮見物の御案内をいたしましょうかと文学有志連が挨拶するから、お交際(つきあい)はもう沢山です。サヨウナラと停車場へ駆けつけて上野行三等に飛び込むと、有志連が追っかけて来て、窓ぎわでお辞儀をしながら、──エエ今回は遠路はるばるお運び下さいまして有益なるお話を賜わり、お蔭さまで盛会の光栄を得ました。甚だ軽少ながらこれは私等一同感泣のしるしです。どうか御笑覧ください。──と言いながら有志の一人が懐に手を突っ込んだから、金の十円もくれるかしらと思って
「そいつはお気の毒ですな」と礼を言うと、
「いえ、何、その、エヘヘ」
 と頭を掻きながら、掴み出したのが細長い紙包みだ。窓口からポンと投げ込んで、
「先生の奥さんに上げてください。では御機嫌よろスウ!」
 と言った。汽車が動き出すと一緒に紙包みをあけて見ると、かもじが出て来たからオヤと思った。とんだ御笑覧だ。到れり尽せりの待遇に感泣したいのはこっちだろう? つらつら観(おも)うにこの文学有志連の中には石炭屋の息子か小僧かがいるのだ。薪や炭団(たどん)と違って石炭は文明のタマモノだから、開店披露をするにも多少ハイカラのお客さんを集めて吹聴する必要がある。そこで金モールの伜でも引っぱり出して、何でも好きなことを饒舌らせると、奴さんのことだから偉そうな熱を吹くに違いない。お礼には売出し景品の「かもじ」かバケツでもやれば喜んで帰るだろう? してみると費用ぬきで広告が出来る訳だ。一挙両得の名案じゃありませんか? どうです? と勧めたので、石炭屋の半ズボンが賛成して、その息子か小僧の仲間を狩り集め、木賃宿あたりに転がっている熊吉に紋付を着せてやらせたんだろう? 文学講演会とは表向き体のいい名前だから、つまり金モールの伜こそいい面の皮で、人よせのダシに使われているのも知らずに、汗を流して意志絶滅の肩を持つやら、ヘエゲルやフィヒテを罵倒するやら、独りでメートルを上げていたんだから世話はない。世話はないが怪我もない。怪我もないのは、まだ見っつけものだ、というのはその夏、金モールの伜は中国筋の或る港街の文学有志連に頼まれて、よせばいいのに性懲りず出掛けて行った。汽車で着いたのが講演会の前の晩だ。出迎えの有志連に頼んで宿を取ってもらい、宿の一室に蚊帳を釣って独り寝たまでは至極無事だったが、とろりと眠りかけてチンという物音に眼を開けると、枕もとに胡坐(あぐら)を掻いている奴がある。此奴が飲みさしのビール瓶を両手に持って喇叭(ラツパ)のみにガブガブ失敬しているのだ。よく見るとそれが汗とり襦袢に赤い腰巻の女で、蒼んぶくれの顔一面貼りつけた膏薬の上に、振り乱れ脱けかけている髪の毛がフラフラ靡(なび)いているのだ。何のことはない、お化け加留多でお目にかかる蒟蒻(こんにやく)島(じま)のブルブル女にお見舞いをうけたようにビックリ仰天して跳ね起きると、女はビール瓶を放り出して金モールの伜をじっと見た。見たかと思うとニヤリと笑った。
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2012年2月24日 (金)

大泉黒石『人間開業』
紀伊國屋BookWeb、BookLiveで発売開始!
ソニーリーダーストアも本日です

伝説的アナキスト作家大泉黒石(おおいずみ・こくせき/1893-1957)の破天荒の自叙伝、「人間開業」は本日より紀伊國屋BookWeb、BookLive等で発売となっております。
また、ソニーリーダーストアも本日中に発売の予定です。
古い本ですが、大変、読みやすくなっております。
立読み版は→こちらです
その他、深沢七郎の幻の短編小説、「風流夢譚」他も好評発売中です。

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2012年2月23日 (木)

伝説的アナーキスト作家・大泉黒石の「人間開業」
ソニーリーダーストア、紀伊國屋BookWeb
での発売は明日から!

伝説的アナーキスト作家・大泉黒石(俳優の故・大泉滉の父)の『人間開業」は、明日よりソニーリーダーストア、紀伊國屋BookWeb、GALAPAGOS等の電子書店で発売となります。
ロシア人の父、日本人の母を持ち、日露欧州を転々。ロシア革命の混乱を避けて帰国すると、上京して浅草で皮革産業にも従事。その破天荒の自叙伝は読みごたえ十分!

立読みは⇒こちらから!

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2012年2月19日 (日)

志木電子書籍の本日分までの
書目案内チラシを作成しました!

志木電子書籍の2012年2月19日分までの新刊案内チラシを作成しましたので、是非、ご覧ください!

志木電子書籍チラシ 2012年2月19日

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2012年2月14日 (火)

岡庭昇著
『かくもさまざまな言論操作』
著者紹介&立読み版!

書名: 『かくもさまざまな言論操作』
価格: 1000円

Gwngos

著者: 岡庭昇(おかにわ・のぼる)
1942年生まれ。
慶應大学経済学部卒業後、TBSに入社。ドキュメント・ディレクターとして活躍する一方、文芸評論家としても多くの著作を出す。
原発、人権、差別、交通警察、ゴミ、在日外国人、学校教育などのテーマに切り込む一方、テレビ・ディレクターだからこそのメディア、ニュースの読み方を提示。
著書に、『飽食の予言』シリーズ、『この情報はこう読め』シリーズ、『メディアの現象学』『亡国の予言』『自己決定力』『メディアと差別』他多数。

『テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!』は志木電子書籍より昨年電子化。

<<<<立読みコーナー>>>

立読み版は、「目次」「究極のニヒリズムを越えて――原発社会との対峙」「二〇一一年版へのあとがき」です。
PDF立読み版の下に、テキストの立読み版もあります。
※PDF版は画面左下「Scribd.の右隣りにあるアイコン[view in fullscreen]のアイコンをクリックすると拡大されます(画面を元に戻す時には、[Exit Fullscreen]をクリックしてください)。
文字は画面下の「+-ボタン」で拡大縮小します。ただしリフロー(スクロールしないで画面の範囲内で文字拡大していくこと)はしません。

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かくもさまざまな言論操作_立読み

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  目 次

究極のニヒリズムを越えて──原発社会との対峙
一党独裁と情報帝国主義について
野村証券「不祥事」と権力意志
人間の本性は卑しいものだという倣慢な思い込み
「政治家という職業」こそは倒錯である
国家独占資本主義のいかがわし
独裁の危機意識は虚構を増幅する
「産業としての駐留」について
「国策」はどのような「許容」をも許容しない
一党独裁の仕上げとしての「持ち株会社」解禁
「無償労働」は「無償」ゆえにこそかけがえのない価値である
情報を「主体化」する心得
改革と称する虚偽と反省という名の開き直り
一党独裁に対抗する地方自治とは
なにが批判されるべきなのか
官僚スキャンダル報道のからくり
「行政改革」というデマゴギーについて
マスコミ批判の主体性
司法は自らを卑しくする
「民間的なもの」への意志
国家は生活に優越しない
「制度」としての創価学会攻撃
この国家は謝罪しない
マスコミはセクハラを理解しない
共生的民主主義について
だからどうしたというのか
情報公開法について
住専処理と世論操作
新・食糧法の欺瞞
住専問題「批判」のからくり
差別に対して制度は何をなし得るか
さまざまな官僚独裁
「好景気」は「いいことか」か
「共生的であること」の原則
「大蔵省解体」の欺瞞
「価格破壊」は「いいこと」か
「所得移転」というからくり
自治と共生と心意気
「信用不安」という脅し
情報帝国主義とはなにか
独裁には断固市民感覚を

あとがき
二〇一一年版へのあとがき

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 究極のニヒリズムを越えて
   ──原発社会との対峙

 原子力に平和利用などというものはない

 原子力に平和利用などというものはない。
 この端的な一言こそが、何にもましてわれわれ──まっとうにニヒリズムを越えようとする人々──の基本的な認識でなければなるまい。原子力にそもそも、平和利用などというものはあり得ない。この基本認識から出発しないから、何やらもって回った虚偽とヨダレクリを大量にばらまきながら、結局原発しかないんだなァ、停電も困るし……といった、震災で少しは覚醒した大衆社会が、その本来のニヒリズムにまたぞろ帰着する事態を、原発体制はせっせと虚偽をばらまきながら待っている。ハダカの帝王の生来の極度の無能と、政治そのものが意図した金縛り──帝王と経産大臣の玄海原発を巡る八百長なんて相撲より下手だった──との合わせ技による被災民対策の放棄は、覚醒しかけた大衆社会への日本流テルミドールなのだ。
 一貫して核依存社会を根底から批判し続けた故・高木仁三郎は、『核時代を生きる』で、一九八二年のイスラエルによる建設中のイラクの原子炉への攻撃と破壊について述べ、この蛮行こそ「平和利用」論の欺瞞を明かしていると言う。「平和利用」という欺瞞こそが、いまや「核の潜在的脅威をどれだけ増大させているのか」と指摘し、そもそも《「平和」とはいったい何か》と問うている。一九八三年に発せられたこの本質的な問いに向き合い、二〇一一年の常識は「核に平和利用なんてものはない」とずけりと答えるのである。

《私にはむしろ、軍事一辺倒によってある種の行き詰まりに直面した核技術開発を、発電など民事もとりこむことによって裾野をひろげ、いっそう巨大なシステムとして確立しようとする意図があったように思える。(アメリカにとって)原子力の「平和」利用と軍事利用は、車の両輪となった。》(第一章「〈核〉としての原発」)

 そしてまた高木は、

《放射能の危険性という面では、ある意味では核兵器よりもおそろしい。大型原発では、広島の原爆の二、三発分ぐらいの死の灰が毎日つくられている。原発の集中する福島県の双葉とか福井の若狭のようなところでは、何百億キュリーの(何兆人もの致死量にあたる)放射能が常時存在しているわけです。》(「核に滅ぶか?」)

 と述べる。この先を読んだら、あなたたちは慄然たるブラックユーモアに泣き笑うだろう。これほど危険な原発施設が地震などに会えば、問題をどう解決することが出来るかと、一九八〇年前半に、すでに問いが発せられているのである。現にいま二〇一一年七月二十七日に国会でなされた、東大教授・児玉龍彦氏の証言がある。福島原発の事故による広範囲な汚染は、ヒロシマの三十九・六個分だと言うのだ(『東京新聞』二〇一一年八月三日)。ウラン換算では二十個文が漏出し、しかも《原爆による放射能の残存量が一年で千分の一程度に低下するのに対し、原発の放射能汚染は十分の一程度にしかならない》(同)と証言している。
 いまわれわれは「ダイジョーブだよ、ダイジョーブだよ」とわめきたてる「専門家」たち(その実は政治的ペテン師たち)と共に、地獄へ落ちるかも知れない実存を慰謝(?)しているわけだ!

 民衆無視の底にあるもの

 二〇一一年八月十七日のTV報道は、北海道知事が泊原発の公式運転を許可したと伝えた。ずっと運転を続けて来たので漢奸、オット違った菅(総理)が誓った原発再開はストレステストを経てからという約束は、踏みにじって構わないということのようだ。どういう理屈か分らないが、TVコメンターでさえ、ずっと稼働して来たからこそストレステストが必要なんじゃないか、と指摘するくらい無茶苦茶な論理である。
 やれやれ、もう待てないのかい。ここにあるのは、原発再開に当たって欺瞞に満ちた屁理屈さえ必要としないと、日本の人民が権力からすっかり嘗められているという実態だ。いまは原発の危険を考えているようだがなに構わない、すぐ民衆はメイファーズ(仕方がない)に落ち着くだろう。どうせ落ち着く先は沈黙でしかないというわけ。ニヒリズム社会(哲学なき社会)が、すっかり足下を見透かされているのだ。それとも君は、ニヒリズムを拒否出来るか?
 北海道知事は総理発言を無視したように見えるが、すでに邪推したように総理も経産相も北海道知事も、みんな引っ括めた八百長芝居なのではないのかと思った方が俯に落ちる。
 旧体制(アンシャンレジューム)への動きはもう始まっている。覚醒の延長に健康な社会を志向する人々が勝つのか、それとも究極のニヒリズムである原発翼賛社会に結局は落ち着くのか。ここに決戦は賭けられている。
 相変わらずがんばっている「東京新聞」だが、二〇一一・八・十一朝刊に「電源立地交付金は温存/脱原発と矛盾/国民負担倍増」という見出しで大きく報道している。嘘とペテンで原発が塗り固められているのは昔からだが、それに官僚独裁の「依らしめるべし知らしむべかざる」という傲慢体質が重なると、ここで記事がすっぱ抜いたようなことになる。
《この促進税額は電気料金の利用明細書にも明示されず、国民が知らないうちに原発建設に荷担させられているのも同然だ》(同)と鋭く問うた同記事は、《再生エネルギーを本気で普及させるなら、同時に電源立地地域対策交付金の見直しも必要ではないか》(同)と妥当に疑問を投げ掛けている。それに、わたしが権力の中の権力と呼ぶ官僚独裁が、露骨にニヒリズム社会の立て直しに動いているのが読み取れる。また同日の同紙は、研究家の新原昭治氏が米国立公文書館で入手したとして、興味深い記事を出している。

《米国の原子力協力は五四年の第五福竜丸事件を機に本格化したが、米国に「日本への核配備」という隠れた思惑があった実態が浮かび上った。(略)フーバー国務長官代行は(略)核兵器を日本に配備する必要があると判断した。(略)「平和利用」への理解が深まれば「軍事的な原子力」への理解も進み》(同)

 核兵器を自分の手で配備するのは目的だが、「日帝自立」主義者に自分でされるのは願い下げということか。
 尻馬に乗って、見ろ「平和利用」なんてありはしないのだ、などと言う気はない。ああそれにしても、言葉の政治にかくも抵抗力がない日本人の特質は、すっかり鬼畜米英にばれていたわけだ! 情けないね。そう言えば、言葉の政治にまんまと絡め取られて、「平和利用」にすっかり感激し、原発批判の運動を「ソ連の手先」などとクソミソに罵倒したカリスマがいたな(駄目を押すが吉本隆明のことである)。仮にそうであるにせよ、当時の吉本ら原発批判批判派が、アメリカの手先であることは、どうやら証明されてしまったわけだ。

 虚無社会の暴力性

 原発社会は究極の虚無社会である。人々は原発の地獄の釜の上で、被災した他者への痛みを感じることもなく、ただ他者に不幸が行ったことに満足し、たかが停電(それもどうやらデマだが)等の「便利さ」と引き換えに、自分だけはツケが回らないという錯覚で納得させ、原発の存在を前提にする。究極の頽廃だ。
 この虚無社会は二つの面で尖鋭に暴力的である。消費と生産において。消費の面での暴力性はすでに述べた。たかが停電がない程度の便利さをもって、地獄を日常化する。しかもそこには“平和利用”というペテンを駆使した、原子力基地建設が狙いとしてある。
 一方で消費面の暴力的な本質と並ぶ生産面での暴力は、原発現場の労働に関わっている。わたしは一九八〇年代に盛んに原発を検証するテレビドキュメントに携わったが、電力会社自身が安全を称しながら、原発現場に入りたくないという気分が濃厚であった。そして敦賀原発で、行く先を告げられないまま、労働手配師によって現場に投入された人物に出会った。彼は筑豊のマルタン(炭鉱離職者)だった。
 すでに七〇年代に、炉心部近くで事故で死んだ労働者を、誰もが名前さえ知らないというケースがあった。山谷から日雇い労働者を手配師が連れて来たので、何者とも知れなかったのである。今度の福島第一原発事故でも大阪あいりん地区(釜が崎)から、行き先を教えられずに連れて来られたという労働者が話題になった。
 私が直面した事態は、エネルギー転換のさなか、資本と労働の総対決と言われた三井三池炭鉱ストを始めとして、争議に負けた炭鉱労働者が、幽鬼のごとくさ迷うマルタンと井上光晴が描いたように窮迫のどんぞこに喘ぎ、そこに付け込んだ手配師が、原発に彼らを送り込むネットワークを作り上げている現実だった。これに下請け労働者から聞いた、現場の管理者はしばしば、生産力を阻害するという理由で、親方から原発労働者にとっては必需品の被曝量計測メーターのスイッチを切って働かされるという話を付け加えようか。
 原発は消費、生産双方において、コスト社会の尖鋭に突出した暴力性なのである。

 独裁のクソ溜め

 自民党一党独裁とは、かくも汚猥なクソ溜めの集大成であったことを理解しなければならない。
 そしてマニフェストを掲げていた政権奪取初期の民主党は、すくなくも理念ではクソ溜めに挑戦していた。だから金銭疑惑というもっとも安直な手段で、つまり後で証拠不十分で白となるのを前提に一定時期は被告として縛れる手法が安直なのだが、鳩山・小沢を行動不能に追いこむ陰謀があったとわたしは邪推する(無位無官にして納税者の爺さん岡庭昇には、証拠はないにせよ、これくらいの公人公職批判は特権としてある)。
 それは恐らくはアメリカと、日本の官僚独裁(すなわちクソ溜めそれ自身)の共謀であった。官僚独裁は一党独裁というすり替えの隠れ蓑の陰で、独裁を支える日本のあらゆる面での汚猥なクソ溜めが、白日のもとにさらけ出されることに怯えた。アメリカは田中角栄の最強の弟子である小沢一郎が、師の「日帝自立論」を継承しているかも知れない面を忌避した。自分たちが日本の核兵器配置を企図するのは構わないが、日本が自らそれをやるのは大問題だと言うわけだ。
 かくて鳩山政権時代にアメリカに呼ばれた漢奸、オット違った菅(直人)は、クソ溜め連合が抜擢した鳩山=小沢への刺客だったのである(と無位無官の爺さんは邪推する)。
 原発は安全かどうかなどと、いくら論争しても空しい。そのような論争への参加そのものがわれわれ、すなわちニヒリズム社会を越えて行こうとする者にとっては敗北である。絶望的な実感の中、「メイファーズ(仕方がない)」精神と闘い続けた魯迅を想え。
 原発の回りには、ありとあらゆる旧社会のクソ溜めが重なり合う。そのクソ溜の連鎖の中に浸って、飽食の頽廃をなお(出来るだけ安いコストに変わったとは言え)続けようとするのが、依然として腰砕けの日本の大衆社会の本質である。官僚独裁が策動する再びなるニヒリズムへの雪崩込みは、まんまと成功するだろう。クソ溜め社会のシンボルとしての原発は、また不滅の輝きを誇るだろう。われわれはまた負けるだろう。しかし魯迅もまた、必敗の思想ゆえに闘えた。一パーセントの不服従があれば、奴等の魂胆通りには行かないのである。
 クソ溜めを正当に忌避して、すこしでもニヒリズム共犯社会を拒否する方向に、真っ向から発想を転換出来るか。たとえ一パーセントならぬ一億人中の六人(笑)でも、ともかく腐臭に満ちたニヒリズムを嫌悪出来るか。早い話が嫌なものを嫌と言えるか。問題はそこである。匂いはすぐ不感症になるよう、体は作られているらしい。そうだとすれば、クソ溜めの中の飽食はさぞかし心地良いだろうなあ。三日でも共犯したら、止められないものなあ。

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二〇一一年版へのあとがき

 一九九八年に三一書房から「かくもさまざまな言論操作」を出して貰った。ちょうど同社に大争議が起きたときで、綺麗な本を作っていただいた林順治氏、大倉徹氏ともども抱いた感想だと思うが、何かと営業活動に限界があったのは残念だった。
 刊行十三年後の二〇一一年初夏、元光文社カッパ・ブックスの編集者で、市民運動や自ら電子出版を手がけている京谷六二氏に出会い、わたしとしては二冊目の電子出版を進められ、二〇一一年版への前書きである「究極のニヒリズムを越えて──原発社会との対峙」と「二〇一一年版へのあとがき」を加えて出して頂くことになった。望外の喜びであり京谷さんに感謝する。
 わたしとしては、危機の年二〇一一年にあっても、結局かつてわたしが指摘したことは何も解決していないではないかと言いたいが、そんなことは誇るべきではなく絶望に直結する思いだろう。だが何もかも未解決であることに正当に怒るべきにせよ、そのことで陰気になるのは止めよう。闘いは始まったばかりだ。陽気に行こうじゃないか。

  二〇一一年八月六日 著者
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あなたの原稿を
元カッパ・ブックスの編集者が
電子書籍にいたします!

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大泉黒石著『人間開業』が
一部書店で発売になります!

本日より、BooksV、honto、ボイジャーストアで大泉黒石著『人間開業』が発売となります。
すでに、BooksVでは販売が開始されております。
夕方までには他2店でも購入が可能になると思います。

なお、紀伊國屋BookWeb、SonyReaderStoreなどは17日からの販売となります。

ロシア人の父と日本人の母の間に生まれ、明治、大正、昭和を波乱万丈に生き抜いた作家の自叙伝。
文中にトルストイまで登場!の立読み版は→こちら

著者、大泉黒石の息子は俳優の故・大泉滉氏です。

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2012年2月10日 (金)

『テレビ帝国の教科書
メディア・ファシズムの罠を見抜け!』
本日よりSony Reader Store、紀伊國屋他でも発売!
小沢一郎「陸山会事件」報道の見方が変わります!

本日より、弊社電子書籍を取り扱っていただいている電子書店様のうち、紀伊國屋BookWeb、SonyReaderStore、BookLive、BookPlaceなどでも『テレビ帝国の教科書』が開始されます。
本ページの左側、電子書店リンクをご確認いただければ幸いです。

現在、いわゆる小沢一郎の陸山会「事件」の公判の行方がネット上で話題になっております。
この裁判をめぐっては、これでもかというほどマスメディアが小沢の「政治とカネの問題」で大騒ぎをしていますが、東京地検特捜部は小沢本人を起訴することができませんでした。
しかし、一般から選ばれた検察審査会の審査員が起訴議決を出したことで、強制起訴となったわけです。

この、検察審査会自体が相当に怪しい存在ですが、それはさておくとして、今問題となっているのは、検察から検察審査会に送られた捜査報告書に相当の虚偽記載があったのではないかということです。
つまり、素人である審査員に小沢を強制起訴させるべく、その判断材料となる捜査報告書を捏造したのではないかという疑惑です。

小沢弁護団の要請を受けて、東京地裁はその捜査報告書リストの開示をするよう地検に照会しましたが、地検はこれを屁理屈と言っていい理由で拒否し、その疑惑はますます高まっています。

ここへ来て、あれだけ小沢を叩いていたメディアも微妙に軌道修正を始めましたが、ではあれだけ小沢一郎=政治とカネの疑惑まみれという印象を植え付けるような報道をメディアはなぜし続けたのか? 小沢は本当に「悪」なのか?
それを見極める上で、本書が示唆するメディアの印象操作手法を知っておくことは非常に重要なことだと思います。
是非、ご一読いください!

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立読み版はこちらから!

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電子書籍全般、
年配者向けソーシャル・メディア利用術等
講師、セミナーについて

志木電子書籍では講演、セミナーの講師を承ります。

内容は、電子書籍の読み方、買い方、あるいはtwitter、facebook等のソーシャル・メディアの使い方、そしてgmailをはじめ、クラウド・サービスの利用法、情報整理術。
また、時節柄、本当の原発情報の読み方、原発とメディア、広告についてもお話可能です。

なお、電子書籍、ソーシャル・メディア、クラウド・サービスの利用法については、年配者の方にも懇切丁寧にご説明いたします。

現在、私の父親は86歳ですが、メールについてはgamilを利用、またfacebook、twitterにもアカウントを所持しております。同居はしておりませんが、gamilのチャット機能(テレビ電話のような機能)で、連絡をとっており、孫の顔を見ることもできます。また、遠方の親せきや友人ともこの機能を使って話をしております。
お互いの顔を見て話をすることができ、さらにインターネットの常時接続の環境があれば、何時間、話をしていても電話代を気にする必要はありません。まったくの無料です(海外との通話も可能)。
電子書籍も自分で購入し、文字を拡大して読んでおります。
また、妻の96歳の祖母は、iPadで孫、ひ孫の顔を見て話をすることができるようになりました。

ネット技術の進歩は、少し前までは考えられなかったような、ある意味でSF的とも言えるようなことが可能になりつつあります。
しかも、それは年配者の方の暮らしを支える上でも、大変、有効なツールとなりつつあります。

「いや、そんなことは自分にはムリ」

と頭から思われている方も少なくないと思います。
実際、私の父もそうでした。
が、一歩、踏み出すと、そこにはまったく異なる世界が広がります。
私はいつも父に言っています。

「せっかくこんなに凄い時代に生きることができたのだから、これを経験しない手はない!」

と。
いまやネットを利用することで、ご家族やご友人、あるいはご近所の方など地域社会とのつながりを再構築することが可能となっております。

一方、「自分はネットの環境が使えるけれども、それを親に教えるのはちょっと大変だし、時間がない、、、」とお考えの方もいらっしゃることでしょう。

そういうみなさまのお手伝いをさせていただくことで、弊社が掲げる理念である「人間(じんかん)に光あれ」を一歩ずつでも進めて行きたいと考えております。

是非、なんなりとお問い合わせいただければ幸いです。

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2012年2月 7日 (火)

大泉黒石著
『 人 間 開 業 』
著者略歴&立読み版!

※本書は来週2月14日(ボイジャーストア)以降、順次、各書店で発売の予定です。
発売日は順次、お知らせしてまいります。

書名: 『人間開業』
価格: 630円

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著者: 大泉黒石(おおいずみ・こくせき/1893-1957)
    ⇒ウィキペディア「大泉黒石」 

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立読み版は、「挨拶」と「目次」、および「少年時代 一」です。
PDF立読み版の下に、テキストの立読み版もあります。
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『人間開業』_立読み版

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【立読み版】

人間開業

大泉黒石

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   挨 拶

 最も平凡な言葉を借用して言うならば、実に作者の私をして文壇的にも社会的にも一躍有名ならしめたこの随筆体小説『世界人(コスモポリタン)』は、即ち過去七年間にわたって『中央公論』にのせた『俺の自叙伝』第一から第五までを集めたものである。もう一度この調子で書いてくれと頼まれても書けるかどうか解らないし、実際書けそうにもない。この意味に於て、この一冊は私の文学者生活に於ける、一つの高大な記念塔だとも言えるだろう。ところで、読者諸君の中には、この中の、どれか一つくらいは目を通した人もないとは限らないが、こうして全部まとまるのを待っている人も少なくないようだから、即ちここに旧態を守って謹んで是を出版し、私の親愛なる読者諸君に向かって簡単な挨拶を申し上げて、以って序文とする次第である。
  一九二六年二月
                大 泉 黒 石

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   目  次

少 年 時 代
青 年 時 代
労 働 者 時 代
文 士 時 代

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少 年 時 代

     一

 アレキサンドル・ワホウィッチは、俺の親爺(おやじ)だ。親爺は露西亜(ロシア)人だが、俺は国際的な居候(いそうろう)だ。あっちへ行ったりこっちへ来たりしている。泥棒や人殺しこそしないが、大抵のことはやってきたんだから、大抵のことは知っているつもりだ。ことに、露西亜人で俺くらい日本語のうまい奴は確かにいまい。これほど図々しく自慢が出来なくちゃ、愚にもつかない身の上譚が臆面もなく出来るものじゃない。
 露西亜の先祖はヤスナヤ・ポリヤナから出た。レオフ・トルストイの邸から二十町ばかり手前で、今残っている農夫のワホウィッチというのが本家だ。俺の親爺は本家の総領だった。
 日本の先祖はどこから来たんだか、あまりいい家柄でないとみえて系図も何もない。祖父の代から知っているだけだ。俺の祖父は本川といった。下関の最初の税関長がそうだ。維新頃日本にも賄賂が流行したとみえて、祖父は賄賂を取ったのか、取り損ねたのか、そこははっきり知らないが、長州の小さい村で自殺した。あまり人聞きのいい話ではないが、恥を打ち明けないと真相が解らないから、敢えて祖先の恥をさらす。さぞ、不孝な孫だと思っているだろう。
 俺のお袋 Keita(恵子)はこの人の娘だ。俺を生むと一週目に死んだから、まるで顔を知らない。そんな理由から親類の有象無象が俺のことを仇子(かたぎご)というんだろう。俺には兄弟がない。天にも地にもたった一人だ。
 露西亜の先皇が日本を見舞った──その時はまだ彼は皇太子だった──とき親爺も末社の一人だった。親爺が長崎へ立ち寄ったとき、ある官吏の世話でお袋を貰ったんだそうだ。その時親爺はまだ天津の領事館にいた。
 お袋は露西亜文学の熱心な研究者だった。それは彼女の日記や蔵書を見ても解る。それで、親爺がお袋をくれろと談判に来たとき、物の解らない親類の奴共が大反対をしたにもかかわらず、彼女は黙って家を飛び出して行った。旧弊人共が、お恵さんは乱暴な女だと、攻撃した。「わたしは、その時、どうしようかと思って困り果(はて)たばな」と、祖母が言った。
 俺は二十七だ。
 支那海の波が長崎港へ押し寄せて来る、英彦山がまともに見えるだろう、山麓の蛍茶屋から三つ目の橋際に芝居小屋があるだろう、その隣が八幡宮だ。鳥居をくぐると青桐の陰に白壁の暗い家がある。今でも無論あるはずだ。そこでお袋は俺を生んで直ぐ死んだ。死んだときは十六歳だった。
「おばあさまに難儀をかけずに、大きくなってくだはれ」と、言って息を引き取ったそうだが、おばあさまには、それ以来難儀のかけどおしで、まことに申し訳がない。
 乳母は淫奔な女だったと誰でも言う。俺を三つまで世話して、情夫と豊後へ駆け落ちする途中、耶馬渓の柿坂で病没したそうで、乳母の母親が、娘が可哀想だから、何とぞ石塔を一基建ててくれと何遍も頼みに来たが、頑固な祖母が、不人情なわがまま者のお恵(乳母の名もお袋と同じだった)に建ててやる石塔はないと言って何時(いつ)も断ったそうだ。だから今でも乳母は石塔のない土饅頭の下で眠っている。
 俺の代になったから、こっそり建ててやろうと思うが、いつも自分一人を持てあましているくらいだから、そこまで手が出ない。
 乳母が逃げた後は、祖母の手一つで、曲がりなりにも育ってきた。俺は癇癪持ちだから、随分だだをこねて老婆を弱らせたというが、それは本当だろう。
 俺が泣くと、雨が降ろうが、風が吹こうが、山の麓から海岸まで背負って行った。祖母は目が悪いところへ持ってきて、あまり知恵のある質(たち)でなかったから、俺を背中へ縛りつけて海岸へ行って、海を見せさえすれば、得心して泣き止むものだと決めているらしかった。
 今でもあるが、その時波止場に大きな、まんまるい大砲の弾丸があった。
「ほら、大砲ん弾丸。な、ふてえ弾丸じゃろが。よう見なはれ。唐人船うちに使うたもんばい、ふてえ弾丸じゃろが」
 と言った。「ふてえ弾丸じゃろが」を何百遍聞いたかしれない。祖母のほうでも、俺を持てあましたろうが、俺のほうでも、大砲の弾丸(たま)には飽き飽きした。
 俺が三つの時、化け物のような奴が突然やって来た。
 俺は玄関で乳母と一緒に裸で鞘豆の皮を剥(む)いていた。するとこの化け物が俺の顔を見てかっと赤い舌を吐いて抱(だ)こうとするから、俺は鞘豆のざるを抱えたまま泣き出したら、台所から油虫(あぶらむし)と一緒に祖母が飛んで来て「まあまあ、おとっつあんたい。よう来なはった」と、あべこべに化け物にお辞儀をしたことを覚えている。これが俺の親爺だ。
 その時分八幡様の石段の下に、高山彦九郎の落とし胤(だね)が貧乏世帯を張っていた。この家の爺さんが、俺が日本を離れるとき「ジャパン国にキリシタンの御堂(みどう)を建立(こんりゆう)したなあ、この俺(わし)じゃと言うてくだはれ。オロシヤ人は喜ぶばい」と言った。誰に言(こと)づてるのか、それは本人も知らないらしかった。長崎に黒船が来た時、中町にキリシタンのお寺を建てようと言い出したのがこの爺さんで、俺の祖母と一緒に高台寺の踏み絵を恐れてしばらく姿をくらましていたんだそうだ。中町のお寺は今名物になっている。爺さんは漆師だった。
 俺を可愛がって、春徳寺下の幼稚園へ入る手続きをしてくれたのも、この高山の爺さんだ。
 幼稚園で俺の組に、色の黒いギスギスの子がおった。大きな紫メリンスの帯をしめて異彩を放っていた。その時分メリンスの帯なんぞ巻いて歩く子がなかったからだろう。先生はこの子を一番可愛がって小便までさせてやった。高木という長崎代官の子と俺が、竹竿で先生を叩いたとき、半日罰を食って廊下に立往生を命じられたら、メリンス帯が来て手を叩いてはやした。代官の子と俺が相談してメリンス帯を殴ると、わいわい泣きながら、下女を小使部屋から呼んで来た。
「若様、この子でございまするかのし」
 と下女が俺を指すと、メリンス帯がウンその子だ。早(はよ)う叩(ぶ)ってくれと言う。
「畜生。この異人めが、若様をようたたいた」と言いながら俺の頬っぺたをぐっとつねった。
 代官の子は震えていた。代官の子なんてものは弱いもんだ。だから親爺が代官をやめさせられて、目薬を売ったり神主なんぞになるんだと思った。メリンス帯は小松原英太郎の子だった。もう大分大きくなっているだろう。
 よその親爺とは少し違っているから訳を質問したら祖母が偉そうな顔をして、
「そら、あんた、おとっつあんは、露西亜のお方(かた)けん、ちった違うとったい」
 と教えてくれた。
「露西亜のお方(かた)けん」靴履きで畳を荒らしたり、石臼(うす)の上にお釈迦様のようにあぐらをかいたりするのだということも解った。しかしなぜ俺のそばへ始終いないのか解らない。
 隣の車屋の三公や煙草屋の留太郎が毎晩徳利に酒を買って門前を通る。
 俺は祖母にあれは誰が飲むのかと尋ねた。説明によると三公や留太郎の親爺が飲むんだそうだ。俺の親爺にも買って飲ませたいが、一体どこに逃げたんだと、折り返して聞いた。そしたら、
「はんかおに居らっしゃるけん。こっちで酒を買ってやらんでもよか」
 ということだった。はんかおは酒を飲まないんだ。三公の親爺も留太郎の親爺もはんかおに行かないから飲むんだ。しかし、町内で徳利を下げて酒を買いに行かない子は、幅が利かない規則になっていたから、俺の親爺も早くはんかおを免職して帰って来ればいい。日に二度でも三度でも徳利を振り回してやると残念でたまらなかった。俺は幼稚園へ入ったばっかりだったが、近所の子に負けるのは嫌いだ。鋳掛屋の子が一番俺を酷(いじ)めた。此奴(きやつ)が、
「おめいの親爺は酒が飲めねいのか」
 と言うから、
「俺の親爺は、はんかおだから飲まねいぞ」
 とやっつけた。そしたら此奴が、
「はんかおなんぞ、うっちゃっちまえ」
「うっちゃるもんか。はんかおは高価(たか)いぞ」
「いくらだい?」
 俺は生憎(あいにく)、祖母にはんかおの相場を聞いていなかったが、黙っていれば、はんかおを馬鹿にするから、大抵、行軍将棋くらいの値段だろうと考えて少し安いとは思ったが、
「五銭だい。ざまあ見ろ」
 と凹(へこ)ませて帰った。
 祖母に、はんかおは五銭でいくつくれるか様子を糺(ただ)すと、はんかおは一つたいと答えてくれた。一応もっともだ。はんかおは五銭で一つと決めて、それから、はんかおの事を誰が尋ねても、高いから一つだ。親爺は、はんかおを売ってしまったら俺の家へ戻って来るんだと威張ってやった。
 大きくなってから学校の先生に、はんかおは支那の都会だ。こう書きますと、漢口という字を書いて教えて貰った。
 もう一つ腑(ふ)に落ちない奴がいた。それは俺の家に、俺が生まれる前から寝ている女だ。この女を祖母がお母さんと呼べと命令したから、中途半端から具合(ぐあい)が悪いけれども、止むを得ずお袋にして、間もなく死んだ時も、お袋なみに、解りよく泣いてやったが、あとでこの女の正体が暴露して、本当はお袋の姉だという証拠があがったとき、いくら可愛がって貰ったって、もう少し泣き惜しみすればよかったと後悔した。ところで、家族は曽祖母と祖母と俺と三人になって、小さい西山という町の家へ引っ越した。
 親爺は不人情な奴で、とうとう二度と長崎へ来ないでしまった。俺は桜の馬場の小学校を三年生で打ち切って漢口ヘ親爺の顔を見に行った。親爺が露西亜領事館に澄ましているから、領事館で小使いさんをやっているかと思ったら、親爺が「領事はわしじゃ」と吐(ぬ)かしおった。
 ここのところで説明をする。俺の親爺はウィッテ伯爵と前後(あとさき)にペトログラード大学の法科を出た支那通だ。何、初めから、こんな臭い所に来る気じゃない。やっぱり国会議員で通す意気込みだったろうが、儲かると思って、政府にだまされて追いやられたんだろう。親爺は法学博士だ。俺は二十八で博士になった、お前も俺を見習え。そうするとアレキサンドル・ネヴスキー勲章は譲ってやると言った。その時は俺だって二十八で博士になる約束をしたように覚えている。
 親爺が明治三十四年に死んで、俺はとうとう孤児になってしまった。しかし、親が揃っていたって、満足な人間になるような手軽な子でないことを自覚していたから、親がなくても不自由だとも、肩身が狭いとも思わなかった。親爺が漢口で死んだ年、俺は遺骸をウラジオストクの露西亜人の墓地へ埋めに行った。その足で叔母ラリーザとそのままモスクワへ行った。親爺には三人の兄弟があった。二人は男で、一人は女だ。女が叔母ラリーザだ。男の方は二人共藪医者で、モスクワに一人、西伯利亜(シベリア)のイルクーツクに一人開業している。俺が叔母ラリーザとモスクワで落ち着いたところが、その三男の藪医者の家だった。ここにもまた伯母がいる。馬面(うまづら)の三十代のフィンランド女で、ターニャといった。
 俺は甥のくせにこの馬面の伯母をターニャ、ターニャと呼びつけにしていた。
 しみったれで、見栄坊で、足を洗わぬ前がマルイ劇場付の女優だったせいか、馬鹿にひがみ根性の、嫉妬心の強い女だ。生意気に、女権拡張論者のソフィ・コワレヴスカヤなどと往復している。バーチナがどうの、ベロヴースカがどうの、イアキモヴァがどうのと変な本を買い込んできて伯父に喧嘩を吹っかけていた。
 俺はこのターニャが大嫌いだ。お前の母さんは日本人だからキヨスキーは露西亜人じゃないと言う。キヨスキーというのは俺のことだ。俺をターニャに預けて置いて、叔母ラリーザは、巴里(パリ)のローマ教女学校へ教師に迎えられて行った。
 その時分俺は、ニコラス二世の乗馬軍服が流行っていたので、学校通いの制服にねだって拵えて貰い、小学校へ伯母の家から出掛けたもんだ。
 読本を開いて「犬が吠える(ザバーカ・ラエート)」「狼がうなる(ヴオルグ・ヴオエート)」「鷲が叫びます(オリヨール・クリジート)」なんて、露西亜だけに「ハナ・ハト・タコ・マリ」と穏かにいかないから面白いと思った。荒っぽくて、何でもガサガサして珍しかった。
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中村智子著
『風流夢譚』事件以後 編集者の自分史
立読み版

書名: 『風流夢譚』事件以後 編集者の自分史
価格: 350円

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著者: 中村智子(なかむら・ともこ)
1929年、東京生まれ。
1952年日本女子大学英文科卒業。同年中央公論社入社。
「婦人公論」「思想の科学」「中央公論」、書籍編集部を経て、一九七八年退社。
東京大学新聞研究所講師をつとめる。
主な著書に『宮本百合子』『横浜事件の人々』『女の立場から医療を問う』『人間・野上弥生子』『百合子めぐり』『戦争しない国』がある。

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立読み版は、「はじめに」と「目次」、および「Ⅲ 『思想の科学事件』」の「1 「天皇制特集号」の廃棄処分」です。
PDF立読み版の下に、テキストの立読み版もあります。
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『風流夢譚』事件以後_立読み版

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【立読み版】

『風流夢譚』事件以後
編集者の自分史

中村智子

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 はじめに

 深沢七郎氏の小説「風流夢譚」を『中央公論』(一九六〇年十二月号)に掲載したことから起こった二つの事件──右翼少年によるテロ「嶋中事件」(一九六一年二月)と、右翼の攻撃をおそれた中央公論社が『思想の科学』の「天皇制特集号」を廃棄処分にした「思想の科学事件」(一九六一年十二月)──は、戦後の日本の出版界における「言論の自由」をゆるがせた大事件であった。そしてそれは、進歩的な思想と言論の自由を守ってきた伝統をもつ中央公論社の大不祥事であった。この事件によって戦後の天皇制論議がジャーナリズムのなかでタブー化された責任を、歴史から消すことはできない。
 私は中央公論社で働く一編集者として、「風流夢譚─嶋中事件」の渦にふかく巻きこまれた。あれからすでに十五年の歳月がながれた。十年一昔という。事件はすでに過去のものとして人びとの記憶からうすれ、そして天皇論は今日では一見花ざかりである。しかし中央公論社にとっては、また私自身にとっても、その刺(とげ)はふかくっきささったままである。十五年の歳月は、その刺を体内につきさしたまま腐蝕させ、複雑な影響をのこした後遺症となっているともいえる。一九六八年の中公労組の「言論の自由」問題闘争は、その刺をぬくためのものであった。だが切開手術は不成功に終わり、新たな患部がひろがって現在に至っている。
「風流夢譚」事件の記録を今かくのは、かなり困難な面がある。事件に直接関係した人びとは、ほとんどが中央公論社から去ったが今なお現役であり、多くを語りたがらない。そして私は現在も中央公論社につとめている。じつは私は、定年退職後に回想として、この事件のことをまとめようと思っていた。だがそれまでにはまだ十年もあり、そんなころ思い出としてかくのは自己満足にすぎないのではないか、つとめている今かき、発表することに意味があるのではないか、と思うようになった。つまり、組織内で言論の自由を実践しないで、言論の自由問題についてかたるのはナンセンスだと考えたのである。
 もう一つ今かくことにメリットがある。それはかかれた内容について、関係者が補足や反論をする自由があることである。逆にいえば、かくほうには現存者の目にさらされるという緊張感が生ずるから、回想録がしばしばおちいりがちな自己合理化を自らいましめることになる。私はかねてから、没後発表という形式は、自分が絶対の安全地帯にはいりこんで現世に波紋を投げるもので、フェアではないと思っている。
 内部批判という点については、あまり大げさに考えないほうがよいと思う。むかしの忠臣は死んで主君の非を諫め、すこしまえまでは、辞表をふところにしなくては、上役にたてつくことはできなかった。こんにちも企業内告発をしたひとが処分された例はたくさんある。しかし一方で、労働組合の力によって処分されずに、あるいは処分されてもなお裁判にうったえてたたかいつづけているひとも、またたくさんいるのである。内部批判者の数がふえればふえるほど、「たった一人の反乱」のときよりも自由度は拡大する。そしていつか、それは特別のことではなく。あたりまえのことになる。「言論の自由」を守る第一歩は、自分が考えていることを率直に言う自由を行使することだと思う。とくにジャーナリズムは「言論の自由」を呼号し、“正義の味方”として悪をあばき、あるいは内部告発を勧めるが、自社および同業他社の問題については沈黙を守る習慣がある。報道言論機関が隗より始めなくて、どうして世の中に言論の自由を拡げていくことができるであろうか。
「風流夢譚」の掲載については私は関与していないので、当時の『中央公論』編集部次長・京谷秀夫氏から前後の事情をうかがった。記して謝意を表すると共に、京谷氏をはじめ「まだ話せない」といっている直接の当事者が今後かかれることを期待したい。本稿は私が見た現代史の微小な一齣であり、私の体験をしるした、いわゆる「自分史」である。記録としてのこすために実名で登場していただいた方々、引用した原資料をかいた方々のご寛容をおねがいしたい。

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目次

はじめに

一 『風流夢譚』と嶋中事件
  1 『風流夢譚』の波紋
  2 事件直後の中央公論社
  3 『思想の科学』の「説得と暴力」特集
  4 寸聞した右翼の内幕
  5 原稿“カット”の誤解

二 中央公論社の歴史
  1 『反省会雑誌』以来の多事多端
  2 横浜事件
  3 第一次中央公論社事件

三 『思想の科学』事件

  1 「天皇制特集号」の廃棄処分
  2 廃棄号を公安調査庁係官に

四 『中央公論』編集部と私

  1 中公編集部への異動
  2 執筆拒否問題
  3 竹内・日高・嶋中座談会の流産
  4 竹内好氏の″爆弾″論文

五 中公労組の闘いと分解

  1 「言論の自由」問題の新展開
  2 「新社告」前後
  3 私の造反・編集長の責任追及
  4 一九六八年冬の激動
  5  分  解

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三 『思想の科学』事件

1 「天皇制特集号」の廃棄処分

 嶋中事件から一年もたたない一九六一年末から六二年はじめにかけて、中央公論社は、第二の事件『思想の科学』事件を起こして失点を重ねた。まえの事件では被害者であった中央公論社が、こんどは「言論の自由」への加害者として立ち現われ、私たち社員にはなんともやりきれない事件であった。まずその経緯をしるそう。
『思想の科学』編集委員会は一九六一年八月末、翌年の新年号を「天皇制特集号」とすることにきめた。発案者の斎藤真氏はその意図をつぎのように述べている。
《あたかもタブーであるかのごとき感すら見受けられる天皇制の問題を、原理の問題としてとりあげることは、思想の研究会として当然行なうべきことであり、「嶋中事件」以後の中央公論社の特殊状況を考慮しつつ、「社業をとおして言論の自由確立のために献身することを誓」った同社の誓いの実現化に協力することこそ、思想団体らしい考慮ではなかろうか。》(思想の科学研究会『会報』三二号、一九六二年二月七日より要約)
『思想の科学』は、前述した事情によって、嶋中事件後の一九六一年四月末から、編集責任は研究会がもって市井三郎氏が編集長になり、中公側は編集事務と発売だけを引きうけることになった。そのさいの協定として、「この種の雑誌刊行は双方の相互信頼にもとづくものであるから、今後も問題が起こりそうなばあいは、随時、事前に協議する」ときめられていた。したがって、問題性をはらむ天皇制特集号については、とくに市井編集長から中央公論社の山本編集局長に特集の意向を伝え、内容が確定してからは目次もみせて、「できるだけ慎重にやってほしい」──つまり、やることは承知した、やり方に気をつけてほしい、という諒承の返事をえていた。特集の目次は左のとおりである。

特集・天皇制
現段階の天皇制問題(対談) 藤田省三 掛川卜ミ子
20世紀における君主制の運命 福田歓一
戦後天皇制の存在と意味 鶴見良行
中学生はどうみるか 石川弘明
大学生はどうみるか 成蹊大学生討論会
クーデターと天皇制軍隊 野間 宏
天皇制とキリスト者 平山照次
国民統合の象徴──神道思想家の天皇制観 葦津珍彦
里見岸雄「万世一系の天皇」(書評)──その憲法改正案と天皇制 佐藤 功

 特集号が校了になった翌日の十二月十八日、市井氏はわざわざ中央公論社に出向いて山本氏に会い、どのように慎重な考慮をしたかをあらためて述べて、無事に校了になったことを報告した。記号論理学を専攻する、綿密で几帳面な市井氏は、山本編集局長の「慎重にやってほしい」という言葉への回答を律義におこなったのであった。山本氏は、「よくわかりました。ごくろうさまでした」とていねいに謝意を述べた。
 ところが、それから三日後の十二月二十一日の夜、突如、中央公論社の幹部会は、印刷・製本がすべて完了した天皇制特集号を「業務上の都合により発売を中止する」と決定したのである。社内の消息通によると、『思想の科学』新年号の見本刷りが各部長の机の上に配られてきたとき、ある業務関係の幹部が「天皇制」という文字にびっくり仰天して、急遽、幹部会を招集し、嶋中事件の裁判がおこなわれているこの時期に、ふたたび右翼を刺激するようなことをするなどとはとんでもない、と息まいた。他の幹部もみな同調して山本編集局長が非難され、発売中止が決定されたのであった。そしてただちに配本にまわっている雑誌にストップをかけ、三時間というスピードですべてを回収した。
 同夜、山本氏は市井氏に電話して、「とりあえず新年号の発売を延期したい。嶋中事件の裁判などあと処理が終わっていない時期に天皇制特集号を出すことはまずい結果を予想されるので、同特集は止めて他のテーマで続刊することを編集委員会にはかっていただきたい。特定の論文内容にたいする異議ではない。特集そのものがまずいと考えられる」と言った。
 市井氏は一晩熟考したうえで、翌朝つぎのような申し入れをおこなった。
「四月末の協定を対外的に明らかにするため、新年号に編集長の読者への挨拶文をとくに一ページ余計に挿入し、同誌の内容に対するいっさいの責任がわたしにあって中央公論社側にはないことを明言した上、新年号の発売を実施していただけないか」
 山本氏は、「その種の考慮を加えても同号の発売はとうてい考えられない」と言下にことわった。
 その日の夕方、緊急に編集委員会がひらかれ、久野収会長と永井道雄氏も出席した。会社からは山本編集局長と宮本信太郎総務部長が出向き、「このような最後的段階でそれまでの諒承をくつがえさざるをえなくなった点、衷心よりお詫びする。他のテーマの特集で続刊してほしい」と頭を下げた。
 研究会のメンバーは深更まで協議をつづけ、「近い将来に天皇制特集を発売する用意があるとか、今回のような社側の発売権なるものがふたたび行使されることはないという保障がなければ、次号以下の編集をつづけることはできない」という態度をきめ、中央公論社へ通告した。
 二十五日、嶋中社長が市井三郎・永井道雄・鶴見俊輔の三氏に会い、中公側の意向を述べた。「(1)すくなくとも現編集委員の任期満了までは続刊してほしい。(2)市井編集長はそのままで、新たに鶴見、永井両氏が編集委員に加わってほしい、そのばあいにはより長期にわたる刊行が安定して実現されるであろう。(3)当分は社として天皇制特集号を避けざるをえない。」
 研究会側は拡大編集委員会をひらき、そのような条件なら現編集委員は全員辞任する、と決定した。そして翌二十六日午後六時から翌朝五時まで、徹夜の評議員会をひらいた。十一時間にわたる真夜中の討議は多岐にわたったが、その基調には、この問題は単に思想の科学研究会と中央公論社とのトラブルではなく、右翼テロの脅威と思想運動、および資本主義下のマスコミと思想運動という思想的な課題であり、それにどう対処するかという政治判断能力がためされているという強い緊張感がつらぬかれ、明け方にはみんな疲れきった、という。
 最後に採決の結果、「中央公論社からの『思想の科学』の刊行を即時中止する」ことがきまったが、声明文はつぎのような穏やかなものであった。
《思想の科学研究会と中央公論社との話しあいによって、従来、雑誌「思想の科学」は同研究会が選出した編集委員会により編集され、中央公論社がその発行を引き受けてきた。「思想の科学」一月号の発行にあたり、思想の科学研究会と中央公論社との間に意見の相違が生じた。われわれは同社をとりまく困難を理解し同社による「思想の科学」の発行を断念する。
 中央公論社は、思想の科学編集委員会が従来の協定に基づいてすでに編集を完了した一月号を業務上の理由により発売を停止した。その処置は、出版の慣行からみて遺憾な点があったものと思う。われわれは、みずからの努力で言論の自由を守ることに、さらに積極的でありたい。これまで「思想の科学」の発行をつづけてくれた同社の好意に感謝する。
   一九六一年十二月二十七日
思想の科学研究会》 
「天皇制特集号」という文字もなく、事情を知らないものにはどういうことなのかよくわからないこの文章は、久野会長が徹夜の評議員会で終始うちだした路線によるものであった。すなわち久野氏は、従来思想団体とその機関誌を発行する出版社との間にいったんトラブルがおこると、互いに非難を投げあって泥仕合的な様相を呈し、両者が共にたたかうべき真の相手を忘れる態度がしばしばみられたが、この種のことはなんとしても避けたい、思想の科学研究会の原則である柔軟な思考方法を活かして思想的に対処したい、と主張し、それが通ったのであった。
 翌日、研究会の代表が中央公論社を訪れて右の決定を伝えると、中公側は何らの代替案をだすことなくただちに受諾した。そして研究会が用意した声明文の内容を全面的に認め、この文章は「中央公論社版『思想の科学』廃刊にあたって両者間の確認事項」として公表されることになった。この席上、中公側は「天皇制特集号」は二部だけ残してすべて断裁した旨を述べ、その二部を保存用として研究会と編集委員会に手渡した。事件は円満に解決したのである。(以上、思想の科学『会報』三二号による。)
 これらのことは、中央公論社の社内では、一般社員には知らされていなかった。私は、情報通からのひそひそ話として『思想の科学』の天皇制特集号が発売中止になったときかされたが、天皇制の特集を企画していたことさえ知らなかった──とくに秘密にされていたわけではなく、一般に雑誌の企画は外部へは洩らさない──ので、寝耳に水のおどろきだった。
「天皇制特集」という言葉が、どぎつい大文字の形となって目の前を走った。内容についてはまったくわからないが、中央公論編集部に移っていた私の感覚には、そのタイトルは、直球すぎるものであった。「原稿“カット”事件」や「編集事務問題」以来、私のなかにあった思想の科学編集委員会にたいする悪感情から、“編集の素人の無知の大胆さ”を軽蔑した。しかしそれにもまして、会社にたいする憤りがわきあがってきた。中央公論社がまたしても戦々兢々たる自己規制の姿をさらけだしたことに、からだが熱くなるほど口惜しかった。「どっちもどっちだ!」私は胸のなかで捨てぜりふをはいた。
 十二月二十八日の『毎日新聞』が大々的にこの事件を報道した。

 《「天皇制特集号(思想の科学誌)」を廃棄
「天皇制」を特集した月刊学術雑誌「思想の科学」一月号が二十七日、突然発売を中止、配本するばかりの雑誌一万部が日の目をみずに廃棄されることになった。発行元の中央公論社(嶋中鵬二社長)が“反響”を心配して自主的に発行中止の態度をきめ、編集に当たっている「思想の科学研究会」(会長・久野収学習院大講師)に申し入れたためで、同会も「嶋中事件」以来、中央公論社の置かれている立場を考えて、この申し入れを了承、同社からの「思想の科学」発行は十二月号で打ち切りとなった。出版の慣行に反する面がないわけでないことを知りながら“業務上の都合”という理由で雑誌の発行がとりやめになったケースははじめてである。……
 久野収氏の話 すでに編集を完了した一月号を業務上の理由で発売停止したことは、出版の慣行からみて遺憾に思う。しかし中央公論社を取りまく困難を私たちも十分理解しているので、結局このような形で縁を切ることになった。これは我々全員が十分検討した結果である。
 中央公論社の話 嶋中事件以後、いろいろ微妙な問題があり、わが社はむずかしい立場に置かれている。ささいなことで一部の感情を刺激し、世間に再び迷惑をおかけしたくない一心で、こんどの措置をとった。内容をどうこういうのでなく、時期的にまずいという一語につきる。》(『毎日新聞 一九六一年十二月二十八日』)
『読売新聞』にも記事がでた。会社側は、この問題は内々に解決して新聞記者には話さないと約束したはずだ、と不満らしかったが、その姑息主義は第一次中公事件のさいと同じであった。しかし今回は、リークしたのは誰だ、と追及するわけにはいかなかった。
 組合員のほとんどは新聞の記事ではじめて事件があったことを知り、おどろいて話しあっていた。思想の科学研究会が天皇制特集号をつくり、そのあげく簡単に廃棄をみとめるとは、軽率で腰抜けもはなはだしいという悪口を、私はわがことのように恥ずかしくきいた。『思想の科学』にたいして、私はやはり“身内意識”があった。担当の橋本さんや倉沢さんにたくさんの言いぶんがあるであろうが、むこうから発言しない以上、このごに及んでいろいろきくのはためらわれた。翌日から年末年始の休みにはいった。
 私はこれは「社告」路線と「お詫び」路線の衝突だと思った。先に述べたように、「社告」は思想の科学研究会のメンバーである永井道雄、久野収、鶴見俊輔氏らによって起草されたものであり、その線上に「説得と暴力」の特集があった。「社業をとおして言論の自由確立に献身することを誓」った社告を額面どおりに受けとって、編集委員会は「天皇制特集号」を編集したのであろう。
 しかし中央公論社の実態は「お詫び」路線で一貫していた。「お詫び」は嶋中氏がみずからかいたものであり、「軽挙妄動せず」の恐怖演説と相まって、つよく浸透していた。社内の力でかかれなかった社告は、最初からタテマエとして空洞化していたのである。
 山本編集局長は組合との交渉の場で、社告の言葉をあきるほどくりかえしていたが、『思想の科学』の編集権を研究会側にわたし、中公側は編集事務だけに限定して編集権を放棄したのは、「社告」路線に実質的に触れるのを回避したものとしか思えない。中公側にも編集権があり、編集の責任を負っていたのなら、「社告」路線と「お詫び」路線をつなぐパイプは有機的に機能し、「天皇制特集号」という直球的な題でなく、もっと変化球に変ええたであろう。しかし編集権を放棄した編集局長には介入する権利も義務もなかった。
 思想の科学側は中央公論社の「お詫び」路線の実態をよく知らないまま「社告」路線を走ってきて天皇制特集に至り、「お詫び」路線に激突した。「お詫び」側にとっては、それは暴走としか映らなかったのである。

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光文社闘争を記録する会 著
『光文社争議団
出版帝国の“無頼派”たち、2414日の記録
立読み版

書名: 『光文社争議団 出版帝国の“無頼派”たち2414日の記録』
価格: 1000円

Small

著者: 光文社闘争を記録する会
(メンバーは川本武、宍戸茂、柿田隆、福山健、野村豊秋、小出忍、千葉昭、上野征洋、田村哲夫、田中修輔、小野俊一、宮木信幸、小野寺照夫、早川憲司で、いずれも本書に登場します)。

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立読み版は、「序」「目次」「プロローグ」です。
PDF立読み版の下に、テキストの立読み版もあります。
※PDF版は画面左下「Scribd.の右隣りにあるアイコン[view in fullscreen]のアイコンをクリックすると拡大されます(画面を元に戻す時には、[Exit Fullscreen]をクリックしてください)。
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『光文社争議団』_立読み版

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【立読み版】

光文社争議団
出版帝国の“無頼派”たち2414日の記録

光文社闘争を記録する会

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  序

 一九七六年一一月、光文社闘争はひとつのピリオドを打った。争議がはじまってから、ほぼ七年たっていた。
 争議が終わったとき、さまざまの〈批評〉が私たちの周辺に押し寄せてきた。日刊紙、週刊誌、ラジオ、総合雑誌、労組などの機関紙、と多様なメディアが光文社闘争を取り上げた。近しい人からはもちろん、遠い人からも〈批評〉が寄せられた。
 その多くは、善意からだろうが、過分に私たちを評価するものであった。「労働運動史上、稀有な勝利である」「これからの労働者運動に一つの方向性を与える」といった調子である。
 私たちは「いえ、それほどのことでは……」と口をモグモグさせ、曖昧に答えるよりほかない。衒(てら)うためにそのような態度をとるのではなく、多様な角度から射出されてくる〈批評〉にとりまかれ、くすぐったい思いをしつつ、立ちすくんでいる、というのが実感なのである。
 だが、口ごもりつつも、私たちの一人一人には「言葉」があふれていることも確かである。七年も争議を持続していれば、肌にまとわりついた感慨のひとつやふたつは必ずあるし、忘れ得ぬエピソードもある。その多くは未整理のままに……。
 このドキュメントは、その未整理の感慨やエピソードを、集録したものである。未整理ということは、おそらく他者を意識せず、自己に向かって「吐き出す」ような形でしか、感慨やエピソードを語れないことを、意味するのではなかろうか。
 したがって、本書は、労働組合が「正式」にまとめる、いわゆる総括とは異質のものである。各章を担当した者が、それぞれのスタイルで、争議の七年間について「吐き出し」た「言葉」を集めたものであり、通読した場合、若干の重複などもあるかもしれない。当事者でなければ了解できぬたぐいのディテールも合まれているだろう。
 また、光文社闘争は「なぜ起きたか」については語ることを略し、「なにが起きたか」についてのみ記述した。そして、光文社闘争を七〇年四月一六日の無期限ストライキから、七六年一一月二三日の協定書調印に至る二、四一四日間の闘いと限定したため、闘争前史にはほとんど触れていない。不充分のそしりはまぬがれえないが、これらの点をご寛恕の上、本書とおつきあいいただければ、と願う。
 本書を分担執筆した「光文社闘争を記録する会」のメンバーは以下の通りである。川本武、宍戸茂、柿田隆、福山健、野村豊秋、小出忍、千葉昭、上野征洋、田村哲夫、田中修輔、小野俊一、宮木信幸、小野寺照夫、早川憲司。
 ところで、これはいうまでもないことだが、光文社闘争は第一ラウンドを終えただけで、本質的には持続されている。その持続の中でしか、今のところ未整理に「吐き出し」ている「言葉」を整合していく方法は見出せない、と思う。(神戸明)

光文社闘争を記録する会

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※テキスト版では「目次」は割愛いたします(PDF版にはあります)。

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 プロローグ

 一九七六年一一月二三日。午前一一時。地下鉄茗荷谷駅にほど近い茗渓会館の一室に、二六名の男女が長方形のテーブルをはさんで向かい合っていた。
 入口のドアを開いて右側に、ダークスーツの男たちが一二名、居並ぶ。小保方宇三郎光文社社長、竹内桃太郎会社側主任弁護士を中央にして両側に全役員、それに総務部長代理と元日経連法規部の労務顧問が加わる。
 対する左側には、女性を含む一四名。三労組の各委員長をはさんで、背広、ブレザー、ジーパン姿と色とりどりの団交委員。その中にまじって三角忠・光共闘(光文社闘争支援共闘労働者会議)議長、岡邦俊、古瀬駿介の両弁護士。
 真ん中のテーブルには純白のクロースがかけられ、その上には白いバラがこの日のために生けられていた。
 バラの花は「美と愛情」という花言葉をもつ。だが、この言葉ほど、対坐する両者の関係にとって無縁な言葉はないだろう。両者はこの七年間、深く憎み合い、激しく争ってきた。純白のテーブル・クロースをめくれば、そこには、罵声とび交うなかで流されたおびただしい血と汗をみることができるはずだ。
 ピケ回数三四〇回。そのなかで負傷した組合員の診断書五三枚、実際の負傷者数は、確実にこの五倍にはのぼるだろう。よほどの怪我でなければ組合員も支援労働者も診断書を取ろうなどとはしない。さらに、争議期間中三名の組合員がこの世を去っていった。ひとりは大衆団交直前に、ひとりはデモのあった夜に、ひとりは闘争資金のためのアルバイト中の事故死だった。そのうえ、二名の支援労働者の死に直面した。いつもスクラムの最先頭で威勢のいい声を張りあげていた、ともにまだ若い女性の骨をあいついで拾わねばならぬ運命など、だれが予測しえただろうか。そして、被逮捕者総数五七人。公判はいまだに続いている。
 これが光文社闘争の現実だった。
 重い沈黙がただようなかで、小保方社長がからだをグッと前に傾け、口を開く。
「六年余にわたる争議が解決できたのは、お互いの誠意によるもので、とくに関係諸先生のご尽力に感謝したい。今後は、協定書の主旨を踏まえ、お互いに敵視したり、従業員同士、いがみあったりしないようにやっていきたいと思います」
 一言一句を慎重に選びながら、眼鏡ごしにじっと、対するものたちの表情をうかがう。三労組側の“関係諸先生”である両弁護士はまったくの無表情で、そんな彼を見返す。
 小林武彦総務部長が協定書を読みあげる。
「第一条、会社は本協定の主旨に則り、本日付をもって、光労組、記者労組幹部八名に対する懲戒解雇、記者労組員二〇名ならびに臨労組員九名に対する解雇を撤回する……」
 以下、六カ条にわたる協定書と三カ条からなる覚書の内容が、事務的な口調で読みあげられていく。記者労組員と臨労組員に関する就労時の賃金を明示してあるところでは口調を落とし、数字を棒読みにしながらひとりひとり確認していく。覚書の最後を読み終え、「それでは、署名、捺印に入りたいと思います」という彼の声は、かすれていた。
 各二通の協定書と覚書が、社長と三労組代表の前におかれる。署名箇所にはすでに代表者名が印刷されていた。総務部長代理が押印の順序を説明する。
 まず、小保方社長が協定書の末尾に、社名入りの角判と代表取締役印の丸印を押す。それから協定書を綴じる表と裏に代表取締役印で割印をしていく。老眼鏡をはずし、印鑑を押す手には血管が浮きあがっていた。三労組の各委員長も同じ作業を繰り返す。捺印が終わるとそれを双方交換し、また該当箇所を印形で埋める。埋まったところで再び交換、双方の代理人が確認していく。次に覚書、同じ手順が繰り返される。
 その間、双方まったく無言。部屋には印鑑を押す音だけが響く。
 やがて、朱肉の色だけがやけに鮮やかに浮きあがった協定書と覚書が、双方の代表者の前に体裁を整えて並べられる。
 組合代表が発言を求める。
「今日、ここに労使双方は解決協定に調印するに至ったが、会社側はこの協定書の主旨を遵守し、この六年有余の教訓を踏まえて、二度とかかる組合弾圧や不当労働行為を繰り返さぬよう強く肝に命じておいてほしい」
 小保方社長がうなずく。
「続いて、光共闘議長から社長はじめ全役員に言いたいことがある」
 それまで右端にいた三角議長が、記者労委員長と席をかわり、中央で経営陣と向かい合う。特徴のある大きな目が正面から社長を見すえる。
「光共闘としては、三労組の就労後もはたして会社側が不当労働行為をはたらかないか厳しく注視している。とくに光共闘のなかから二名の支援労働者が刑事弾圧によりいまも公判中であるという事態を、われわれとしては見過ごすことはできない。刑事裁判はこれからも続く。協定書に調印したからといって光文社闘争のすべてが終わったわけではないのだ。今後、光共闘をどうするかは、就労後の三労組に対して会社側がどのような態度で臨むのかをじっくり見て決めていきたい」
 この発言を最後に、三労組側は席を立った。冒頭の社長発言からまだ一時間もたっていない。最初から最後まで、笑顔ひとつ交わされることなく、握手する光景もなかった。
 こうして、光文社闘争の調印団交は終了した。
 外に出ると、明るい秋の日差しの中に、人通りはなかった。皮肉にも、この日は「勤労感謝の日」に当たっていた。闘争開始以来、二、四一四日目のできごとである。
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2012年2月 4日 (土)

honto、BooksVの両電子書店で
弊社の電子書籍の扱いが始まりました!

昨日より、honto、BooksVで、弊社の電子書籍の扱いが始まっております。
新刊の「テレビ帝国の教科書 メディア・ファシズムの罠を見抜け!」も発売されています。

honto ⇒ 志木電子書籍の本
(PC/iPhone/iPad/Andoroid対応)

BooksV ⇒ 志木電子書籍の本
(Andoroid対応)

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京谷秀夫 著
『一九六一年冬「風流夢譚」事件』
著者紹介&立読み版!

書名: 『一九六一年冬「風流夢譚」事件』
価格: 350円

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著者略歴
京谷秀夫(きょうや・ひでお)
1925年、東京生まれ。
1950年、早稲田大学文学部卒。
同年、中央公論社入社。「中央公論」「週刊公論」等の編集部に在籍。
1963年1月退社。
以後、東京12チャンネル(現在のテレビ東京)、河出書房、鹿島出版会を経て、現在、フリー。

<<<<立読みコーナー>>>

立読み版は、冒頭の1章、「一九六〇年九月まで」です。
PDFの立読み版の下に、テキストの立読み版もあります。
※PDF版は画面左下「Scribd.の右隣りにあるアイコン[view in fullscreen]のアイコンをクリックすると拡大されます(画面を元に戻す時には、[Exit Fullscreen]をクリックしてください)。
文字は画面下の「+-ボタン」で拡大縮小します。ただしリフロー(スクロールしないで画面の範囲内で文字拡大していくこと)はしません。

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立読み版 『一九六一年冬「風流夢譚」事件』

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  一九六〇年九月まで


 深沢七郎作「風流夢譚」がどういう経路で当時の『中央公論』編集部の手に渡ったかということは、私にはよくわからない。ただ、私がこの小説についてはじめて耳にしたのは、一九六○年九月二五日に行なわれた六〇年度中央公論新人賞選考委員会の席上において、武田泰淳氏からである。この席には、選考委員として武田氏の他に伊藤整氏、三島由紀夫氏が出席され、編集部からは私以外にも編集長をはじめ数人の編集部員が出席していたはずである。後述するように、深沢七郎氏も一九五六年に設定された中央公論新人賞の第一回に「楢山節考」によって、これらの選考委員の目を通って当選したのである。一九六〇年代中ごろから七〇年代中ごろにかけての十数年間に、これら委員の方々は相次いで世を去った。
 したがって、あの選考委員会の席上、といっても選考のはじまる前の雑談の折であったが、「風流夢譚」の話が出たことを私が記憶していたとしても、どういう内容の話であったか、選考委員会の方々に確かめる術はなくなってしまった。そして、この作品のおそらく最初の読者となったであろう武田氏がどのような読後感を持たれたのか、氏の生前に直接伺えなかったのはきわめて残念なことである。そして、氏が作者である深沢氏にどのような感想を語ったのかということについても、私は深沢氏からいまもって聞いていない。繰り返して言えば、私はこの選考委員会の席上で、深沢氏が「風流夢譚」という小説を書いたという事実を知っただけである。私が実際にこの小説を読むのは、一〇月に入って『中央公論』一一月号の手が離れてからである。
 ちなみに、この席で第五回中央公論新人賞として、梅田昌志郎「海と死者」が当選し、選考委員三氏の選評座談会とともに『中央公論』一九六〇年一一月号(一〇月一〇日発売)に発表された。たまたまこの号は中央公論社の七五周年記念号にあたり、特大号となった。
 本書で扱う「風流夢譚」事件のいわば前史として、一九六〇年の安保闘争とその後の政治的・社会的・思想的状況はきわめて重要であるとともに、この七五周年記念号の内容も等しく重要であるように私には思えるので、ここでこれらを概観しておきたいと思う。
 まず、この特大号は特集として「七十五周年記念再録評論集」と銘打って、吉野作造のあの有名な「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」(大正五年一月号)以下、長谷川如是閑(「政治的概念としての大衆」昭和三年四月号)、野呂栄太郎(「日本の所謂無脅威軍縮の実体」昭和五年三月号)、片山潜(「大戦後に於ける日本階級運動の批判的総観」昭和六年四月号)、山川均(「共産党両巨頭の転向」昭和八年七月号)、河合栄治郎(「混沌たる思想界」昭和九年二月号)、美濃部達吉(「陸軍省発表の国防論を読む」昭和九年一一月号)、猪俣津南雄(「農民とファシズム」昭和一〇年七月号)、三木清(「知識階級と伝統の問題」昭和一二年四月号)、矢内原忠雄(「国家の理想」昭和一二年九月号)、戸坂潤(「ひと吾を公式主義者と呼ぶ」昭和一二年八月号)、馬場恒吾(「政府と政党」昭和一三年四月号)、尾崎秀実(「“東亜協同体”の理念とその成立の客観的基礎」昭和一四年一月号)、橘樸(「国体論序説」昭和一六年七月号)その他を再録した。
 これらにはそれぞれ解説が付せられ、今日もなお失われていないこれらの論文のもつ価値が専門学者によって論じられた。たとえば、吉野論文には松本三之介氏による「政治的立憲主義」、如是閑論文には高橋徹氏の「「輿論操縦」への批判」、馬場論文には藤田省三氏による「政治学的思考の誕生」というように。
 総じてこの特集は、『中央公論』が、というよりも中央公論社が『中央公論』創刊以来、さまざまな時代をくぐり抜けてきたにしろ、言論機関として果たしてきた役割の中でも最良の部分をピックアップしてそれらを七六年目以降に臨むにあたって良き伝統として再認識し、かつ社会にも提示したいという積極的姿勢を示すものであったと言えよう。そこにならんでいるのは、戦後になって入社した私にとっては目もくらむような錚々(そうそう)たる執筆者たちであった。もちろん私もこの中の数人には会ったことがある。一九五〇年三月の入社早々に、『少年少女』といういまは廃刊になってしまった雑誌の編集部に配属された私は、編集長の命令で鎌倉の十二社の奥に住む如是閑氏をしばしば訪れねばならなかった。山川均氏は私の出勤途中に藤沢駅でたびたび見かけたことはあったし、後に原稿依頼で何度かお宅を訪問したこともあった。馬場恒吾氏は嶋中社長に連れられて世田谷の氏の自宅を訪れたことが一度だけあった。矢内原忠雄氏は氏が亡くなられるまで、同じ戦後の時代の空気を吸ったわけであるから、その点では知っているといえるだろう。だが、他の人びとは直接謦咳(けいがい)に接したことはないけれども、私たちの世代にも強い影響力をもっていただけに、特集としてこれらの人びとが名を連ねているのを見ると、自分が働いているこの雑誌のもつ歴史の厚みといったものを改めて感じないわけにいかなかった。そして、七五周年記念号以後、この雑誌の歩んだ道が、この特集号で示した良き伝統の継承であったかどうか問うことを、私は差し控えたい。なぜならば、私にはそれを問う資格があるとは思えないからであり、もしその伝統を逸脱したのであれば、私にもその責任の一半があると思うからである。しかし、いまになってみると、この特集号は、いわば歴史のアイロニーとしか、私には考えようがないのである。
 この年の夏は、いまでいうシラケたムードに支配されていた。前年の冬から高まりはじめた安保改定反対の運動は、五月一九日の深夜の衆議院本会議における政府・自民党による新安保条約と会期延長の強行採決により一挙に高揚し、いわゆる六・一五事件によって頂点に達した。それは戦後における民主主義運動、革命運動、基地反対闘争、原水爆禁止運動、合理化反対・生活向上の労働運動など、労働者、知識人、小市民のあらゆる運動の集約的表現であり、その情熱の集中的爆発でもあった。しかし、春から初夏にかけて国民の各層を支配した政治的情熱は、六月一九日深夜の新安保条約の自然成立、岸内閣の退陣、そして所得倍増をスローガンに掲げた池田内閣の登場によって急速に冷えきり、シラケていった。
 一口にシラケたといっては語弊があるかもしれない。文字通りシラケた層もあったろうし、もっと深刻に挫折感に打ちひしがれた学生もあったろう。日本共産党に絶望し、新しい革命の理論と展望を切り開こうと決意した知識人、学生、労働者もあったろう。ある人びとは次の機会に備えて矛を磨いていたかもしれない。この安保反対闘争をいさぎよく戦った新劇人たちは、新たな連帯を求めて、合同して中国に旅立っていった。私の知人・友人の何人かもそれに加わっていた。人それぞれの思いはどうであれ、とにかく人びとは永田町界隈から去って行き、日常生活に復帰し、梅雨明けの夏の空の青さに気づく余裕を取りもどしたのである。
 私は、いまでもときどき私自身と安保条約とのかかわり合いについて考えることがある。
 私が中央公論社の正社員として(入社当時には見習社員の制度があって、入社後七、八カ月にして正社員になる)『中央公論』編集部に配属になったのは、一九五一年九月、サンフランシスコ講和条約成立に際しての臨時増刊号発行の際である。すなわち、講和条約そして日米安全保障条約の成立とともに私は雑誌記者になったと言えるだろう。つづいて一九五七年五月号の安保条約五周年を契機に特集した「安保条約の改廃をめぐって」にも私は参加している(講和・安保両条約の発効は一九五二年四月二八日)。こうして入社満一〇年目を迎えた一九六〇年、私は新安保条約の問題に雑誌記者として直面することになる。私のそれまでの中央公論社員としての、すなわち一ジャーナリストとしてのすべてが、安保体制の中に過不足なく組み込まれていたわけである。
 さらに、われわれが扱ってきたその時々の問題のすべてが、直接間接に安保条約と結びついてもいた。当時、私はよく「安保以前のすべての争点は安保体制に流れ込み、安保以後のすべての争点は安保体制から流れ出た」と考えていた。したがって、新安保条約があのような形で成立しても、それでシラケるとか戦後民主主義の挫折と受け止めるほど、私はナイーブではなかったろう。なにも安保体制は永遠のものではなし、来たるべき時機に備えればよいと考えながら、まだその余燼に頬を熱くしていたにちがいない。岸首相が米大統領アイゼンハワーの来日を実現し、天皇といっしょにパレードさせて、いくらかでも世論のバランスを回復しようと大量に右翼を動員した結果として、河上社会党委員長と彼自身に対する右翼の傷害事件をひき起こしたが、それがその後の政治的テロリズムの前兆となっていたことに、その時点で私はどこまで気づいていただろうか。しかし、その直後の七月には、私自身が直接右翼の脅威にさらされることになった。安保以後の政治的底流を知るために、この問題の顛末についてここで多少触れておかなければならない。
 事の発端は前月六月一五日、いわゆる六・一五事件にあった。この日の夕刻から夜にかけて新劇人デモ隊への右翼の突入があり、つづいて全学連主流派の国会突入、機動隊との衝突が発生し、樺美智子が国会南門で死んだ。前述したように、この日は安保反対闘争のクライマックスであった。私は前年一一月に創刊されて半年目くらいの『週刊公論』編集部に次長として配属になっていた。この週刊誌の校了は毎週水曜日と木曜日であったから、水曜日にあたる一五日には大日本印刷の出張校正室につめていた。そこへ、組合員としてデモに参加していた社内の友人から、樺美智子の死をふくめて国会前の状況を報らせる電話が入った。それはきわめて衝撃的事件であり、週刊誌としても間に合うかぎり内容を変更しなければならないことは、その場にいた私たちだれしもが感じたことであった。
 私は、なににもまして事件の現場をこの目でたしかめたいと思った。そして、ただちに国会前へ飛んで行った。この夜の国会前で起こった事件の詳細は、いくつかの安保闘争史に語られていることであるから、ここでは触れない。ただ、私たちは週刊誌記者として急遽、この事件に対応しはじめた。一六日の明け方には、私と二、三の編集部員は樺美智子の遺体が収容されている飯田橋の警察病院の前にいた。そして、彼女の父君である社会学者の樺俊雄氏が病室につめていること、さらに、彼が一時帰宅しようとしていることを知った。私は編集部員の一人に、なんとか樺氏を私たちが乗ってきたハイヤーで自宅に送り、そこで彼の口述をとってくるように依頼した。おそらくその部員はきわめて俊敏に対処したにちがいない。各社の車がひしめく中を、その部員が樺氏を社の車に乗せて走り去るのを私は見送った。
 私はその足で、千葉県との境をなす江戸川の近くに住む鶴見俊輔氏の自宅に行った。鶴見氏はデモから帰宅したばかりであったが、快くその夜の事件についての感想を私に語ってくれた。私はそれを口述筆記して、樺美智子の死の現場写真の下に見開きで組んだ。すなわち、右翼暴力団に前夜襲われて負傷した新劇俳優のインタビュー、樺俊雄氏の手記、および鶴見俊輔氏のコメントの三本を急遽まに合わせたことが、一五日の深夜から一六日の午前中に私たちがなし得たことのすべてであった。
 この『週刊公論』六月二八日号は、表紙に新珠三千代の顔写真をあしらい、表紙裏では福田恆存氏が彼女について短文を書き、巻頭のグラビアページでは「元“助教授という名の公務員”」というタイトルで、安保反対運動を精力的に展開する鶴見俊輔氏を扱っていた。五月一九日の強行採決によって、彼は国家公務員としてそのような日本政府に使われたくないという理由から国立大学助教授を辞任したのであった(それは、ほぼ同じ理由から公立大学を去った竹内好氏につづくものであった)。この号は六月一八日に発売になり、『週刊公論』史上はじめて売り切れとなった。売り切れになったのは、しかし『週刊公論』だけの現象ではなかった。六・一五事件を扱ったその週から次の週にかけて発売された週刊誌は、すべて異常な売れ行きを示したのである。それだけをとって見ても、この事件に対する(とともに安保闘争に対する)国民各層の関心が、いかに高かったかを示す証左になるであろう。そして六月一八日午後一二時、新安保条約は参議院でまったく審議されることなく自然成立した。
 こうして前述の岸首相に対する右翼の傷害事件を経た後、七月に入って右翼団休・護国団が編集部に抗議に来社したのである。彼らの言い分は、「われわれ(右翼)が純粋に安保賛成のデモをしていたところに、学生・新劇人が殴り込んできたのだ。それをお前たちは安保反対側の記事ばかり載せている。したがってお前たちは偏向している。われわれの言い分も載せろ」ということであった。彼らの態度はきわめて高圧的であり、明らかに私を威嚇してかかってきた。それは多少なりとも私に恐怖心をひき起こすていのものであった。私はおもむろに、というより強いて自分を冷静に保つために、煙草に火をつけて、一服吸ってから質問する。それは、六月一五日の事件についてどちらが先に手を出したかという事実問題なのか、それともわれわれの雑誌の偏向という思想問題について抗議するのか、いずれなのかということであった。当然のことながら、彼らは天下の公器たるものの思想的偏向について抗議にきたことを重ねて強調した。事実問題ならば、あの事件については右翼も学生も検挙されている。したがって「法廷で事実問題についてあなた方の言っていることが正しいと立証されたら、いつでも事実の訂正をしよう。しかし思想問題というならば、われわれはあなた方の抗議を受け入れるわけにはいかない。あなた方は日刊紙でも週刊誌でも創刊し、自分たちの主張を掲げて売りまくって、われわれを世論として圧倒すればよいではないか。それが民主主義というものではないか。あるいは『週刊公論』の不買運動を組織しても結構だ、どうぞおやり下さい」というのが私の主張であった。
 六月一五日の新劇人デモの襲撃事件に関しては、護国団の石井一昌が検挙されていた。彼は、警察官から酒を飲まされてそうした襲撃を誘導された、ということを東京地裁の公判廷において供述したが、それはこの時点よりずっと後のことである。
 したがって、ここでは両者の主張は平行線を辿るしかなかった。こうして第一回の護国団との会見は小一時間はつづいたと思う。第二回目は、護国団側は黒ワイシャツに黒服をつけた若い団員を差し向けてきた。第一回目は団長が教宣部長を同伴しただけに多少理屈めいたことも言ったが、二回目では、彼はもっぱら凄んでみせて威嚇を与えることだけで、執拗に彼らの主張を載せろという要求を繰り返した。彼がフランソワ・ラブレー研究の大家であった東大フランス文学の教授と同姓同名であったのはご愛敬というものであろう。そして最後は護国団団長が一人で来社し、前の主張を繰り返した。
 両者はそれぞれ自分の主張を繰り返すだけで、平行線を辿っていることは第一回から同じであったが、苦しくなったのはむしろ私の方であることに私は気づいていた。というのは、編集長は完全に私まかせで、一度も右翼との対決の場に現われなかったし、どうこうしろという指示も与えなかった。あの号の記事は君たちの班がやったのだから自分たちで解決しろ、といった態度であった。右翼と会見している応接室に近い総務部も迷惑そうな様子を示してきた。これで連中が暴れてガラスでも破ったら、恨まれるのはこっちだなということが否応なく私には感じられる。わずかに私の班の編集部員が心配して隣室に詰めていてくれるだけである。私はなんとかして妥協案を出さねばならないところに追いつめられた。そして投書欄を思いついた。
「われわれの雑誌には投書欄がある。あなたがたが『週刊公論』の読者として投稿するのは自由だ。投書は編集部で取捨選択して掲載することになっているが、この際、私の責任であなたがたの投書は必ず掲載することを確約しよう。ただし字数は一五字で四〇行前後までである」
 これが私の側からする提案であり、相手方はそれを了承した。この投書は『週刊公論』一九六〇年八月二日号に掲載されている。
 相手が右翼であるならば、私が腕力で負けて二、三度殴られても、これは致し方ないだろう。しかし私は一人のジャーナリストとして彼らの理屈には負けたくなかった。そこで事実問題と思想問題を分け、事実問題については事実の立証を待ち、思想問題については言論の場での自由競争を主張して譲らないという論理で私は対処しようとした。この事件は数カ月のちの“本番”のためのいわば格好のリハーサルになってしまった。しかし現実世界の状況は常に新しく、リハーサルがいつも本番に役立つとはかぎらない。

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久野収・鶴見俊輔・藤田省三 著
『戦後日本の思想』
立読み版!

書名: 『戦後日本の思想』
価格: 1000円

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著者: 久野収   ⇒ ウィキペディア
    藤田省三 ⇒ ウィキペディア
    鶴見俊輔 ⇒ ウィキペディア


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立読み版 『戦後日本の思想』

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 序文

 日本の思想は、いろいろな意味で、戦争の試練にたえることが出来なかった。戦争は、日本の国土を荒廃させただけではない。むしろ、それ以上にふかく日本の思想を荒廃させた。われわれの仲間の共同研究『転向』(上巻、平凡社)を一読するだけでも、戦争による思想の荒廃化のある側面、たとえば、反体制思想の荒廃過程の重要な側面はあきらかになるであろう。
 十五年間の戦後は、国土に加えられた傷あとを、ひとまず表面だけはぬぐいさったようにみえる。しかし人間は、国土の中で、よかれあしかれ、思想によって生きていかなければならないとすれば、たとえ国土がもとの姿に近づいても、思想が立ちなおっていなければ、われわれはほんとうに立ちなおったのだ、ということはできない。戦後日本の思想が、戦争による自己の荒廃化にどれだけ責任を感じ、戦争体験とどれだけふかく対決しているかは、日本の思想がどの程度まで立ちなおれるかをはかる尺度である。
 われわれ三人が、年齢も専門も志向もかなりちがっていながら、われわれの周囲に現に生きている思想を論評する冒険をおかしたのは、日本の思想をほんとうに立ちなおらせる条件をつきとめたい、という共通の関心につきうごかされてのことであった。
 われわれのアプローチは、この関心に規定されて、二つの特色をもつことになった。
 その一つは、思想を、一方では思想以前のエトスと関係させ、他方では思想以後の現実的帰結と関係させて、とりあげるという角度である。思想を、出来あがった理論の姿で切りとって論じるのではなく、理論に方向や目的をあたえるものとあわせて論じ、思想が理論をとおって現実にあたえるものとあわせて論じようとしたのは、この関心からであった。こうして理論を看板とする思想では、むしろそのエトスや帰結を明らかにし、エトスがきわだっている思想では、その理論や帰結を明らかにするねらいが自然に生れてきたのである。
 もう一つは、思想を、さまざまなステータス(持ち場)を代表させる資格でとらえるという角度である。インテリゲンチャのステータスを代表し、文化の独立と政治の革命を真剣に考える思想を“近代文学グループ”に、インテリゲンチャを代表しながら、体制を支配するステータスの思想を“心グループ”に、同様に反体制運動を代表する思想を“民主主義科学者協会”を指導した思想に、大衆の中のサークル的ステータスを代表する思想を“生活綴り方グループ”に、社会科学者というステータスを代表する思想を“大塚・清水・丸山の学問的態度”に、敗戦国民というステータスを代表する思想を、戦後からする戦争体験のくみとり方に求め、戦争体験の問題を中心にこれらの思想を論じている。そうしたのは、知識人と生活者という二つのカテゴリーで思想をきり、この二つのカテゴリーをそれぞれのステータスで特殊化させたからである。別の角度、別のカテゴリー、別の代表のえらび方も当然可能であり、別のスタイルの書物が出て、問題の追求を、ちがった角度からもっと深めてくれることを希望したい。
 この試みは、最初の発議、資料、進行、一応の結びまで、中央公論編集部、京谷秀夫君のたいへんな努力をわずらわした。われわれ三人だけでは、一応の結びまで到達出来たかどうかさえうたがわしい。その意味では、京谷君は共同研究者の一人である。
『中央公論』連載中に各方面からよせられた批判にたいしても、われわれは心から感謝している。吉本隆明『芸術的抵抗と挫折』(未来社)中の“情勢論”、無着成恭「このごろ読んだもの」(『日本読書新聞』九六〇号)、谷川雁「工作者の論理」(『思想の科学』創刊号)、本多秋五「物語戦後文学史」(『読書人』連載中)、竹内好「思想と文学の間」(『東京新聞』三三・一・一四、一五、一六)、奥野健男「論壇展望」(『図書新聞』四三〇号)、江藤淳「加藤秀俊の実感主義」(『日本読書新聞』九四七号)、『心』三三・八号の座談会は、それぞれ、新しい問題視点を教えてくれている。しかし、これらの批評にこたえるためには、全文をまったく新しく書き直さなければならない。その仕事は他日に期することとして、いまはひとまず、各所に必要な補足をほどこし、年表と参考文献を加えることで満足しなければならなかった。
 年表と参考文献については、後藤宏行君、出版については中央公論社出版部、和田恒君の助力をわずらわした。あつくお礼の言葉を申しのべたい。

  一九五九年四月二十五日
                    久野 収

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 〈報告〉   鶴見俊輔

 日本の思想界のなかに予定調和みたいな状態があって、すぐに意見相互の調子が合ってしまう。どこに行っても話が合ってしまう。これはたいへん問題だと思う。この調和状態のそれぞれの時の一致点は、どこから決まってくるのか、われわれは知らないで勝手に話してることが多い。やはりこの思想の調和とか一致は、神がつくったものではないし、歴史の客観的構造が特定個人の創意による媒介を経ずに定めたものでもなく、これを決めている特殊のグループがある。それぞれの時代の話題とか考え方は、そこから吹いてくるものなんですね。ちょうどタンポポのタネが風で吹いてくるようなものです。そのタンポポのタネがどこから飛んでくるかを知らないで、われわれは無邪気に話のタネを取り上げて、話をすすめていることがとても多い。その意味でタネを作っていたものの主体は、どのくらい戦後日本の思想史のなかにあったかが問題になると思う。
 それはたくさんあるわけだが、一応われわれとしては、保守陣営の一つの溜まりとして「心」、それから進歩派の学会の代表として「民科」「歴研」、そして教育運動のなかから「生活と作文」、それから文学のなかから「近代文学」をとって考えてみたわけです。
「近代文学」から始めるというのは、戦後の思想史全体をとらえていく最初の手がかりとしては、「心」「民科」「生活綴り方運動」よりも適切な点があると思うからです。
 私は実は『近代文学』を通読したのは今度が初めてなんです。それで、普通われわれが話題として取り上げていることを、誰が初めて取り上げたかがずいぶんわかった。これは現代思想史家としては恥ずべきことだと思うが、日本の代表的な論争の実に多くが『近代文学』によって初めて取り上げられ、論争のレールを設定されている。「近代文学」は七人ほどのグループで出発したわけですが、なぜほかのたくさんあるグループよりも、戦後思想史の中心的なペース・セッターになったかというと、この人たちが終戦の時を待っていた。戦争中にすでに終戦時の思想状況を先取りしていたということがいえると思う。

  思想の循環性

 日本の思想史は循環性をもっている。一般に思想史は循環性をもっている。だから、哲学史はいつも観念論、唯物論の対立として書かれるけれども、日本の近代思想史は西洋哲学史にくらべて、もっと言葉の厳密な意味での循環的な法則をもっている。というのは、前に取り上げられた問題が、全く同じ仕方でまた取り上げられる。全く前の状況と同一の仕方で還ってくる。その意味では循環性という哲学史における普遍概念が、最も厳密な形で適用されるのは、西洋哲学史よりも日本の近代思想史だ。「近代文学」の七人の侍たちは、昭和十年ごろに、昭和二十年にもう一度循環してくるその一点に立っていたわけです。そして一点に立って、その一点から全然動かなかった。昭和二十年まで持ち越して、ずっと立っていて、同じ思想状況を繰り返し反芻していた。この一点に立って動かなかったことには偶然のチャンスもある。というのは、七人のうち誰一人として戦争体験がない。これは偶然が幸いしたのですが、それとまた別に、意思によって一点を譲らなかったという一面もある。このグループは翼賛運動に参加していない。ちょっと例外はあるけれども、全体としては、偶然と自分の意思の両方が作用している。
 終戦のときの状況は、かつて昭和八年から十年にかけて共産党を同伴者としていた青年たちが受けたとほとんど同じショックを日本国民全体が受けた。そこで転向の問題、集団に対する不信の状態、日本の民族性に対する不信の状態、誰が誰に対しても責任を負わないで、右往左往している状態が昭和八年頃の共産党員にとって、前にあったと同じ仕方で出てくるが、この問題状況を待ち受けていた。日本の思想史は進歩がなくて、循環的でダメだ、ダメだというのは、たしかにそのとおりなんですが、その循環性があるからこそ、その循環性を巧みにぎゅっとつかまえれば、循環性をある意味で脱却する根拠にもなる。それは今にも当てはまる。今は中間文化の時代だ、大衆社会の時代だ、といって新しい話題にいくのは、考えてみれば、同じように崩れる状態が先にくるわけで、「近代文学」の人に倣って、今の点に立っている方が、有利だと思う。とにかく「近代文学」は、クモが巣を張って獲物を待つように、一点に立っていて実りを生んだと思う。

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〈討論〉

   日本における「永遠」観

鶴見 実際戦争によって日本社会のなかで大部分の人たちは、イモ洗い式にいろんな人と肌をぶつけ合っているわけです。イモ洗いの過程のなかに投げ込まれなかったという意味で、「近代文学」は非常に特殊的なんだな。だから停滞的・孤立的・閉鎖的であり得る。このグループはその意味で国民的な共感を呼び得ないという制約はある。国民の中からエネルギーを引き出せない。
藤田 しかし割合にインテリには『近代文学』は愛読されている。山室静のもっているような東洋主義は、日本では国民的ではない。
久野 そこのところを、もう少し説明しなければいけないんじゃないか。
藤田 日本社会は技術的な近代化が早すぎるんだと思います。国民的実感は、技術的な近代化に適応してゆくのに大童ですから、生活についての歴史感覚がどうしても短い目盛りになってしまう。だから、東洋的な永遠の相の哲学が入ってこない、国民の実感のなかには。
久野 そうだろうか。私は国民の実感構造に二つの方向があると思う。環境に対する行動とか認識とかのかかわり方から出てくる実感構造は、いま藤田君の指摘されたとおりだと思う。しかし環境へのかかわり方には、もう一つの方向がある。感性的かかわり方というやつ。環境を認識的に対象化するのでもなく、行動の舞台とするのでもなく、直接自分の感覚で感性的にかかわって感受的に実感を引き出してくる方向です。桑原武夫さんのいう“第二芸術”なども、芸術のジャンルや様式としてはなるほどつまらないでしょうが、この実感構造の具体化の形式、スタイルとしてはなかなか重要なわけでしょう。
藤田 その第二の方もやはり永遠感をもっていないのではないでしょうか。「祇園精舎の鐘の声……」は永遠感ではなく、常に細いサイクル(循環)で繰り返される単純再生産工程の連続じゃないんですか。その場合には、自分の生活の場を点としてとらえてしまうから、永遠につづく無限悠久の線のなかに位置づけないで、連続的コンテクストからはずしたところで感じとっている。だから逆に過去の任意の一点と任意に御都合的に結びつけてしまう。永遠感覚は出て来ない。
 つまり過去のものの非脈絡的な思い出──思い出の哲学になる。鶴見さんがいわれた日本的な循環性も、これとの関係で問題であると思うが、この非脈絡哲学は飛び越しの哲学で昔のものとピタッと一致する。つまり循環道路の意識をもっていないから、循環主義は出て来ないで、外から見た場合に循環性をとり出せるだけのものではないだろうか。たとえば、俳句の場合、実感的に芭蕉に還る。その時の内面構造では、芭蕉に還るときに芭蕉以後の時代、明治以後の時代はなくなっている。こういう哲学には永遠感は生れない。永遠観念はすべての時間を平等視することができるような、時間を超越した空間点に自分が立ったときに、初めて感性的に生れるものだと思うんです。
久野 瞬間を通して永遠へゆくか、ある循環を通して永遠をつかむかの問題ですね。日本人ではこの両方がうまく結ばない。
鶴見 永遠の相のもとに見るという視点は、日本の民衆的な世界観にはない。インド教や、仏教にはあるが、日本の宗教にはない。
久野 インド教、仏教とは違うけれども、あるのじゃないですか、永遠がわかったと思っているんじゃないかな、日本の民衆は。
藤田 位牌を拝むでしょう。その場合は位牌とピタッと一致する。目の前にプリゼンテーションする。そのときは位牌以後の時間点はなくなっている。歴史は消え去っている。連続性ではなく任意の二点のアイデンティフィケーション(同一化)の感覚じゃないでしょうか。

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2012年2月 3日 (金)

深沢七郎 著
『風流夢譚』
立読み版!

書名: 『風流夢譚』
定価: 330円

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著者: 深沢七郎
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立読み版 『風流夢譚』

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 風流夢譚

 あの晩の夢判断をするには、私の持っている腕時計と私との妙な因果関係を分析しなければならないだろう。私の腕時計は腕に巻いていると時刻は正確にうごくが、腕からはずすと止ってしまうのだ。私は毎晩寝る時は腕からはずして枕許に置くので、針は止って、朝起きて腕につけると針はうごきだすのだ。だから、
「この腕時計は、俺が寝ると俺と一緒に寝てしまうよ」
 と私は言って、なんとなく愛着を感じていたのだった。これは腕時計が故障しているので時計の役目をしないことになるのだが、それでも私は不便は感じなかった。私と同居しているミツヒトという甥は機械類が好きで、時計も高級なウエストミンスターの大型置時計を置いてあるからだった。
 数ヵ月前のことだった。
「そんな役に立たない腕時計は、修繕した方がいいじゃァないか」
 と弟にすすめられて、弟の知りあいの時計屋さんに持って行ったことがあった。
「分解掃除をするんですねえ」
 そう言って時計屋さんは中を開いて、
「アッ、こいつは凄い時計ですよ」
 と、眼を見はった。
「そんなにいい時計だったですか?」
 と覗き込んだ弟も、「アッ!」と叫んだ。時計の中は歯車もゼンマイも部分品は燦然と輝く金製品だった。
「金ですか?」
 と弟が念を押した。
「純金ですよ、こんな時計は見たことがないから」
 と言われて、私は(そうでしょうそうでしょう)と思っていた。手を合わせておがまれるように頼まれて買わされた時計だったが、(あゝ、掘りだしものだったなぁ)と嬉しくなった。時計屋さんは5分間ばかり調べてくれたが、
「どこも故障などしてないですねえ」
 と言って、それから、
「こんないい時計に、こんなバンドでは時計が泣きますよ、このくらいのをつけなければ」
 と千五百円の金張りのバンドをつけてくれた。
(そうでしょうそうでしょう)
 と私は千五百円支払って、帰りがけに、
「あの、夜中に止ってしまうのですが」
 ときくと、
「それはネジを巻かなかったでしょう」
 と言われた。ネジを巻いても止ってしまうのだが、相手がそう言うのでこれ以上しつこく言うことが出来なくなってしまった。それで、そのまま帰って来てしまったが、少したって、デパートの時計部へ持って行って見て貰ったら、
「これは、タイヘンな、インチキ時計ですねえ、スイス製のマークだが、こんな時計は、なかの部分品は、これは、トタンのメッキみたいなものですね、バンドだけは金張りでこんな時計につけては勿体ないですよ」
 と言うので(そうでしょう、やっぱり)と思いながら聞いていた。この時計は友人から3千円で買ったのだった。その友人は帰国するアメリカ婦人から捨値で5千円で買ったのだそうである。その友人は「母キトク」の電報がきた時に、
「買ってくれ、捨値でも5千円するのだが、3千円でいいから」
 とすすめてくれて私が買ったのだが、アメリカ婦人の捨値ということも本当だかどうか疑わしいし、「すごい、いい時計だ」とほめてくれた時計屋さんもバンドを売りつけるためのお世辞だったらしい。そんな不愉快なことがあったりしたが、なんとなく私は愛着があって、「俺が眠ると、俺と一緒に眠ってしまう」と言って、私は手離す気になれなかったのだった。
 あの晩、私が家に帰ったのは夜おそく私の腕時計は1時30分だった。腕から時計をはずして寝たのだが、私の意識していた時刻はウエストミンスターの針は1時50分をさしていて、その時は私の腕時計も1時50分だった。それから私は眠ってしまってあの夢を見たのだった。
 その夢は私が井の頭線の渋谷行に乗っているところからだった。
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岡庭昇 著
『テレビ帝国の教科書
メディア・ファシズムの罠を見抜け!』
著者紹介&立読み版

書名: 『テレビ帝国の教科書 ~ メディア・ファシズムの罠を見抜け!』
定価: 500円(税込)

Small

著者: 岡庭昇(おかにわ・のぼる)
1942年生まれ。
慶應大学経済学部卒業後、TBSに入社。ドキュメント・ディレクターとして活躍する一方、文芸評論家としても多くの著作を出す。
原発、人権、差別、交通警察、ゴミ、在日外国人、学校教育などのテーマに切り込む一方、テレビ・ディレクターだからこそのメディア、ニュースの読み方を提示。
著書に、『飽食の予言』シリーズ、『この情報はこう読め』シリーズ、『メディアの現象学』『亡国の予言』『自己決定力』『メディアと差別』他多数。

『かくもさまざまな言論操作』は志木電子書籍より昨年電子化。

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立読み版は「二〇一二年――電子書籍版への序文」、「目次」「はじめに――メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ」です。
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立読み版 『テレビ帝国の教科書』

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 二〇一二年――電子書籍版への序文

 この本は一九八五年に、いまに変わらぬ友情を保っている星山佳須也情報センター出版局編集長(現在は三五館代表)に出してもらった。わたしが文芸評論家とともにTVドキュメンタリストの時代であり、ときはまさにマスコミの狂瀾怒濤の象徴である、かの『ロス疑惑』が世間を風靡していた。現在の若い読者に、『ロス疑惑・三浦和義事件』と言ってもピンとこないだろうし、さらにその熱っぽさや同時に存在する空虚さに至っては、想像もつかないだろう。
 もっとも、この電子書籍の編集兼発行者である京谷六二さんによると、《三浦事件や豊田商事事件はネットで検索すると動画も多数出てきますので、読者もあの騒動を追体験することが可能です。そういう意味では本当にいい時代になりました》ということになるのだから、旧石器人が心配することもないのだろうが。
 ただしわたしは、『ロス疑惑』を論じるためにこの本を書いたのではない。もっぱらその、空疎な狂瀾怒濤の本質を捉えるために思考した。
 フランスにボードリアールという高名な哲学者がいる。かつて第一次湾岸戦争が起こったとき、《湾岸戦争は起こらなかった》と発言して話題になった。たんなる皮肉屋でも陰謀史観でもない。
 ボードリアールが言わんとしたのは、もう一つの有名な発言、《アメリカとはディズニーランドである》と合わせると、分かるように思える。人々が現実、あるいは現実感と思い込んでいるものは、現在の伝達構造の中ではじつは蜃気楼のようなフェイク(だまし絵)ではないのか、というのが彼の問題提起なのだ。
 つまりわれわれは、リアル(現実)と錯覚して、本当はバーチャルリアリズム(幻想)を生きさせられている。このボードリアールの問題意識を、まさに例証するものこそ『ロス疑惑』である。かつて大騒ぎの渦中で、わたしにはこの空虚な事件感覚は、もはや冤罪の疑いさえ通り越したところの、現実とは根本的に別なバーチャルリアリズムを、マスコミの「見物人」でさえ生きさせられているのだと実感させられたのである。
 本当はそこにこそ、この本のテーマがあることを、知ってもらいたいと思う。
 かつてわたしは、むろん「教科書」などという名乗りは、まったくの逆説でこの本を書いたのだが、現実にTBSでのわたしのTV製作上の先輩で、あらゆる次元で攻撃をかけられたわたしを、守り抜いてくれた篠崎敏雄プロデュサーから「若手に教科書として読ませたい」と言われたときは、あまり情熱家とは言えないわたしも感激した。いまは亡き氏に感謝する。

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  目 次

二〇一二年──電子書籍版への序文

はじめに──
メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ

Ⅰ メディアとスキャンダルが相姦する
  1 ロス疑惑とテレビの新時代
    “疑惑”という名の公開処刑イベント
  2 かい人21面相と事件の“顔”
     仮説・グリコ‥森永不連続説
  3 倉田まり子と国家のスキャンダル
    “コト”が“ヒト”にすりかわる
  4 山口組と劇場犯罪
     あらゆるスキャンダルはイベントと
なる

Ⅱ テレビは空気のような罠である
  1 体験的“抗議電話”
     それはリアクションとしてのアクションである
  2 安心は既視感のなかに
     メディアに出るのはエライ人、か?
  3 テレビは“市民”のパスポート
     永遠に停滞するわれらの至福の共同      
     体

Ⅲ“像”という名の妖怪が歩き出す
  1 われらの“現実”は仮装する
     メディアの権力を解剖する
  2 一枚の写真とイメージの罠
     感性の支配が確立するとき
  3 スキャンダルのケインズ理論
     広告代理店向け“疑惑”のマニュアル
  4“像”は君臨する
     露出する人々は権力を得る

Ⅳ 逆説のカラクリが情報を戦略する
  1 情報帝国主義の完成
     統制がリークとなり、リークが統制となる
  2 真のスキャンダルは逃亡する
     タレント・スターという機能
  3 メディア・ファシズムヘの逆転技
     官能を研ぎすませよ!

あとがき

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 はじめに――メディア・ファシズムとの共犯を断ち切れ

平和なニッポンの“永野惨殺”ヒステリー

 一九八五年七月。中国・旧満州を一カ月取材して帰ってきたら、マスコミ記者が大勢つめかけている前で、豊田商事の永野一男会長が惨殺されたというので大騒ぎになっていた。何でこんなヒステリックな反応になるのかよくわからず、いろいろ資料を漁ってみたが、いまだにピンとこない。つまりヒステリーと同調できなくて困っている。おそらく鎖国共同体を脱け出していたため、こちらの波長が狂ってしまったのだろう。集団ヒステリーと同調していなければ、日常を生きているという気がしないのがどうもこのニッポン市民社会のホンシツのようだ、ということがよく納得できた。
 平和で、自由で、住みよいニッポンということになっている。まァ、そう思いたい人は、信じこむ自由を行使すればよろしい。それにしても、この国で人は殺されてはいないのか。暴力は行使されていないのか。権力は勝手なことをしていないのか。法は犯されていないのか。すべてが永野商法や永野殺しで始まったことではあるまい。ブリッ子もポーズのうちはいいが、ホンネになってしまったのではどうしようもない。
 永野惨殺へのマス・ヒステリーは、どうやら殺人そのものの違法性に向けられたものではないらしい。殺人をあからさまに見せつけられた、ということへの反発であるようだ。殺人がそれほど憎ければ、日々行なわれている暴力と違法にもっと関心をもち、社会浄化にでも起ち上がればよさそうなものだが、そのあたりについては、いつも見ないでやりすごそうとしている。ただウラヘ押しこめ、切り捨て、差別した部分を、オモテの世界に露出され、直面させられるのが嫌なだけなのだ。一方では、見たくないはずなのに、なぜか永野惨殺をあつかった「NHK特集」は、視聴率が三五パーセントにまでハネ上がってしまう。他方では、そんなに興味をもって見たくせに、抗議電話をかけなくてはおさまらない。つくづく奇妙な感性の回路をはりめぐらされた鎖国社会である。
 この回路は、もっぱらテレビを中心とするメディアが担っている。わたしは、ニッポン低国はいまやメディア・ファシズムに囚(とら)えられていると考えている。永野惨殺をめぐる奇妙なマス・ヒステリーは、メディア・ファシズムのホンシツを、さまざまな形で浮かび上がらせているのではないだろうか。
 とはいえ、このメディア・ファシズムの暗澹たる状況は、テレビ・ディレクターや週刊誌記者の心がけが悪いために一方的に形成されてしまった、というようなものではあるまい。まさに、あなたこそがメディア・ファシズムを形成しているのだ。テレビから受けとっている、新聞から与えられている立場だから何の責任もないというのは錯覚である。観客であることによって、半分以上は加担している。いや、メディアの荒廃は、むしろたんに“与えられる”ことに慣れてしまった視聴者、つまりあなたの生き方がつくり上げ、再生産していると考えなければならない。“与えられる”あり方の固定化、絶対化はメディアに対するひとつの強制であって、こんにち読者・視聴者ほどある意味で傲慢な専制君主はいないのである。このことを、一度、徹底して考えてもらいたいと思う。
 永野惨殺を“見せられた”ことに抗議する人々は、ふだんはこの世に無法な殺人が存在することをきれいに忘れている人々である。差別、冤罪、いじめ、不平等、権力悪などについて、考えようともしなければ、抗議もしない市民たちである。いや、そもそも永野などは殺されるべき奴だ、とキャンペーンしたマスコミに同調した視聴者であろう。それが、とつぜん正義の士となって殺人の反人道性を唱え、傍観したマスコミの非を鳴らす。そうしながらも、永野がいったい殺されなければならないほどの何をしたのか、それはいかなる基準によって悪なのかについては、いささかも考えようとはしていないように見える。むしろ、殺されたことによって永野は絶対的な“悪”の記号に凍結されてしまったのではないのか。
 つまり、忘れていてやりすごしたいものを、わざわざウラ(差別された現実の捨て場)から引っぱり出したことだけが、彼らの忿懣(ふんまん)のすべてではないのか。だとすれば、彼らがテレビなどのマス・メディアに抗議するのは、逆説的にいえばごく当然のリアクションなのかもしれない。テレビなどのマス・メディアは、いまや事実をあばき、伝達するためにではなく、約束事の現実像の背後に現実そのものをかくしてしまう役割として存在している。かくし=かくされる共犯関係を裏切られたとして、視聴者=市民は怒りの条件反射を見せただけなのだ。
 それにしても、マスコミが例外なく反省しているのにも驚かされた。彼らは、つねに他者を殺しつづけている存在だったはずだ。ペンやカメラで、殺人以上の暴力をふるってきた事実はどこへいったのか。そのことへの思いはいっさい念頭にないまま、なぜか今回だけ、それも“警察のお手伝いができなくて反省しています”もないだろう。誰が頼んだのでもないのに、声高に不倫の恋をなじっているテレビのレポーターたち。記者クラブ発表のままに冤罪者の人格を攻撃して恥じない新聞記者たち。彼らはもともと、警察を代行する“岡っ引きジャーナリスト”でしかない。だとすれば、“なぜ犯人を止めない”という類の馬鹿馬鹿しい批判にも、それなりの必然性はあろうというものだ。岡っ引き報道しか存在していないメディアに向かって、岡っ引きの役割を期待するのは当然かもしれない。

「メディア・ファシズム」は見えない檻

 永野惨殺シーンは奇妙に明るい映像として受けとれた、とわが家人は感想を述べている。この“明るい”という気分は、“手ごたえのない”とか、“質量に乏しい”“衝迫感に欠けている”などと同じ意味であると思えた。つまり、これほどの衝撃的なシーンが、何となくイベントに見えてしまうのだ。
 説明するまでもなく“イベント”とは興行用語で、つまり催し物のことである。見世物と訳してもよいが、すでに日本語であろう。充分に演出された催し物としての出来事、とこの場では理解してもらいたい。なまなましいはずの現実が、イベントに見えてしまう。これは、まぎれもなく倒錯である。そしてこの倒錯は、いつもイベントを現実とみなし、その背後になまなましい現実をかくしてきたメディア社会の、当然うけるべき報いなのではないか。
 なぜテレビが問題なのか。テレビが現実を代行し、テレビだけが現実像であるという錯覚が広くいき渡ってしまったからである。この錯覚から、さまざまに困った状況が生まれている。永野惨殺の前、彼を悪の代名詞みたいに罵(ののし)った人々は、一度も彼に会ったこともなければ、どういう悪であるか直接に知っていたわけでもなかった。にも関わらず、充分以上に知っていると思いこんでいたはずだ。人々はテレビの“像”をホンモノと錯覚し、テレビをオウム返しにすることで自分の意見を主張しているつもりになった。
 これははなはだしく危険な状況である。現代社会は、テレビをはじめ新聞・雑誌など、総じてメディアを手段としない限り一片の情報も入手できない仕組みになっている。口コミや噂の比重は減じ、直接現実に接し取材するなどという態度そのものが消えた。しかし、人々はほんとうはメディアを手段にしているわけではない。逆にメディアの囚人になっている。メディアによる現実像を現実そのものと錯視することで、いいようにメディアに翻弄されている。わたしはこのような状況をメディア・ファシズムと呼ぶ。
 メディア・ファシズムは、いまや右派メディアの偏向報道やテレビの権力迎合体質にのみ存在するのではない。われわれがテレビ社会のなかに丸ごと漬かっているという事実そのものが形成している。つまり、きわめて日常化したファシズムなのである。
 そして、メディア・ファシズムは、メディアが一方的につくり出すのではない。メディアと消費者の共犯構造として成立してしまっている。わたしは、記者やディレクターの良心に訴え、奮起を促すタイプの良心的、進歩的メディア批判とは立場を共有しつつも、一貫して厳しく批判してきた。問題を解決するのはたしかにヒトだが、問題をヒトに解消してはまちがう。メディア論なきメディア批判は、下手をすると自己満足でしかない。すでにヒトの姿勢や態度や良心よりも、メディアの構造そのものが問われなければならないのである。
 イヴァン・イリイチは、『学校化社会からの脱却』を著して、現代市民社会における学校化現象を批判し、そこからの脱却を提案した。それにならっていえば、わたしは早急なる“テレビ化社会からの脱却”を提案したい。“テレビを消せ”などという、つまらないお説教をしたいのではない。テレビを消しても、どうにもならない。逃避を試みても、その社会の内側に囚えられているという現実からは逃げられない。学校化社会からの脱却が、何よりも学校のホンシツと、学校化現象に蝕(むしば)まれた市民社会への批判的な考察であったように、われわれはこの脱出のためにこそテレビに積極的に関わってみなければなるまい。
 この考察は四つの軸をもっている。
 ①は、テレビが(メディア・ファシズムが)しばしば武器として用いるスキャンダルは、どういうカラクリに充ちているのか、という問いである。この考察こそ本書の柱であり、ロス疑惑やかい人21面相を例にとりながら、第Ⅰ章にまとめた。
 簡単にいえば、テレビが送り出すさまざまな現実像のなかに、その一種類としてスキャンダルがあるのではない。すべての映像がスキャンダルである。あるいはすべての映像をスキャンダルとして処理するところにのみ、テレビがテレビとして成立している根本がある。そして、このようなものとしてのスキャンダルは、かならず権力悪としてのスキャンダルを背後にかくす役割をはたすのである。ちょうどテレビの送り出す明るい日常現実像が、現実の暗部を差別的に切り捨ててしまう役割であるのと、それはセットになっている。もっともらしい現実(NHKニュースのなかの市民社会)は、じつはさりげないイベントなのだが、それをホンモノに見せるために、もうひとつのどぎついイベントであるスキャンダルが演出されるのである。そこにマジメ=ホンモノ、不マジメ=ウソという迷信的二元論が交錯して、イベントとしてのニュースを現実像に粉飾することになる。
 ②は、テレビとはそもそもいかなる存在なのか、というホンシツ論である。このホンシツ的なメディア考は、なるべくホンシツ論議らしからぬ日常的なエピソードとして、第Ⅱ章にまとめた。
 ホンシツなどとは無縁なところに存在していることによって、ホンシツ的な批判から免れている(テレビへの悪口にロクな批評があったためしがない)のが、テレビのホンシツだからである。
 かくて、メディア・ファシズムの定義は、テレビをはじめとするマスコミが、用意した“像”をもって現実をフィクションする機能である、ということになろう。これが③である。この考え方については、第Ⅲ章で述べた。
 そしてスキャンダルもまた、ニセのスキャンダルによってかくされている。われわれがふつうスキャンダルと思っているものは、スキャンダルをかくすためのそのニセモノなのである。つまり、
 ④メディア社会は、すべてが逆説のカラクリに充ちていて、素直なヒトほどだまされてしまう。このカラクリの見抜き方を、第Ⅳ章でしめくくった。

 一般的に現代は情報化社会といわれる。むろん情報化社会とは、情報が不自由な社会のことである。ウソの情報ばかりが意図的に氾濫させられ、真の情報がかくされる時代の呼び名なのである。ここをまちがえてはいけない。だが、いかにわたしががんばったところで、たれ流されている大量のウソ情報の代わりに、ひとつひとつ真の情報を提示するなどということはできない。情報はいつも権力に所属し、その手によってかくされている。ただ、あらわれた限りでのフィクションとしての情報を読み替えることはできる。
 娯楽番組をやるときは笑顔で、ドタバタヴァラエティをやるときは純粋に不マジメな態度で、そしてニュースを報道するときは表情をひきしめて……というのがテレビの、よく考えてみればじつに奇妙な、グロテスクなしきたりである。そして、ホンシツをいえば、マジメな顔のニュースほど、じつはつくりものであり、しばしばウソッパチでもあるのだ。人々は多く、メディアのトリックであるところの“ヒトの態度がコトのなかみを決定する”というしきたりに慣らされてしまっている。そのためおふざけ番組は俗悪で、マジメな顔のニュースは真実だと条件反射する。しばしば条件反射が充たされないときは、やみくもにテレビに向かって反発する。なぜしきたりどおり、永野の死体が病院に運ばれたあとの“現場”をニュースしないのか、という程度の意味しかもたない抗議電話はこのわかりやすい例である。
 たとえば、いっけんぶっきらぼうな態度だが、とりあげていることがらへの真摯さがその奥にうかがわれる、というのはだめで、みるからに虚偽のとりつくろいで、対象に関心をもっていないマジメ風ないんぎん無礼は、大いに歓迎する。その結果、たとえば多くのNHKアナウンサーのような不気味な存在が出来上がってしまうのである。
 この逆立ちは、視聴者自身にはね返っている。“ヒトの態度がコトのなかみを決定する”という錯覚によって、大マジメな顔の情報は(記者クラブ発表のニュースは)それだけでホンモノだとうけとられる。やすやすとフィクションが流布される。大マジメな顔のアナウンサーと大マジメな顔の視聴者がメディアと共犯しつつ、物語を現実にすりかえる不マジメな作業にうちこんでいるということだ。
 さきほどもいったが、まさにあなた自身の問題として、いま、ほんとうに深刻にこのメディア・ファシズムの状況をふり返ってもらいたい。オレは何もしていない、ただ新聞やテレビから情報を与えられているだけで、そこにウソや物語がふくまれていればオレも被害者だ、というかもしれない。それもたしかに一面の真理だ。だが、一方的に被害者ではすまないところに事態がきていることもたしかなのである。
 この、くるところまできてしまったメディア・ファシズムの頽廃のなかで、なお“ただ与えられている”としたら、それはとりもなおさず共犯以外のなにものでもないのである。メディアほど受け手(消費者)の顔色をうかがっているものはない。わたしは従来つねにテレビ、新聞、週刊誌のつくり手を批判してきたし、これからもやってゆくつもりだが、近年“王様”としての視聴者“市民”の犯罪性を痛感することが多い。
 読者諸君、いますぐあなたの位置を徹底して検証せよ。そうでないと、とりかえしのつかない事態をあなた自身の手でつくり上げてしまうことになるだろう。

あなたが差別の共犯者となる前に

 さて、時にいくら大きな虚像が仕掛けられているとはいえ、手がかりは与えられた情報(ニュースという名の物語)の内にしかないし、それを手がかりにして読み替えていくことは不可能ではない。われわれが自分を鍛えた上で、たどりつけるのはそこであり、かろうじてテレビ社会にどっぷり漬かりつつ、そこからの脱却を図ることは、この“物語の読み替え”において可能なのではないか。
 この読み替えには、いわば“情報読み替え人”としての専門的な力量が、かならず必要である。やろうと思ったって、誰にでもすぐできるものじゃない。だいたい、何でもかんでも、自分の努力ぬきに与えられて当然だというような態度が、メディア・ファシズム時代を現出させた最大の原因である。まず、あなた自身のメディアヘの甘えを捨てよ。何らかの魂胆ぬきに“与えて”くれるものなど、この世には存在しないのだ。といっても、情報の裏を見抜き、物語を読み替える手引きは、同時に自分をこの力量へ鍛え上げていく方法と重なっているから、いくつかやり方を提案しておきたい。
 ①は複数(なるべく多く)のメディアを比較し、それらの関連の流れを追及することである。現在のメディアは集中豪雨・一過性健忘症型である。情報の集中豪雨の外に身をひき離し、なぜいまそれが集中豪雨であるのかを考えること。そして一過性健忘症でメディアが語らなくなった事件やヒトを、そこで改めて考え直すことが必要である。
 そうすると、このところむやみと香港の記事や番組が多いのは、本土返還への不安からくるパブリシティ(広い意味での広告戦略)攻勢がマスコミにかけられているなとか、韓国ブームはオリンピックをめざす軍事政権の一種の政治に違いないとか、メディアに対し主体性をもって対応することができるようになる。
 いま最適の例は阿含宗であろう。八五年七月。新宗教・阿含宗が、朝・毎・読三大紙をはじめ「週刊朝日」などに大々的に全面広告を打って、大きな話題となった。以前から大量の広告費をバラまくので知られ、「週刊新潮」「週刊文春」などへの大量定期広告は、何らかの記事かくしに近いパブリシティではないかなどと噂されていたが、ここまでくるとほとんどメディアの買い占めである。ふつう集中豪雨型報道とは、永野のときは永野、連合赤軍のときは連合赤軍、航空機事故のときは航空機事故ばかりあつかって、その後はケロリと忘れてしまう態度のことをいうのだが、この場合、広告がほとんど集中豪雨型報道として登場した画期的な事態であるといえる。
 阿含宗が厳密には宗教ではなく、教義と護符を使った一種のマルチ商法であるとの説があるが、わたしはその当否を判断できないし、その場でもない。ただ、“一流の”メディアに大々的に広告を打つのが、そのエスタブリッシュメントとしての証明ではなく、逆の理由であることは読むことができる。そしていまや「朝日新聞」という“超一流”に全面広告をかかげるようになった事態を、教団内容の充実や世間からの認知とは逆のもの、つまり何らかの秘匿されねばならぬフィクションのリアリティとしてうけとるのである。
 ②は、メディアの集中豪雨の幅よりはるかに長い射程に、集中豪雨の情報を置き替えてみることである。そうすると、かつてのメディアを資料として、いまのメディアの虚像が読める。
 この例は、いま国鉄であろう。民営・分割案のニュースが集中的に出ているが、国鉄が巨大な赤字をかかえているから当然だ、という前提である。誰もがこの前提を当然のこととして改めて論じないから、残るのは民営・分割案のやり方だけで、そこに右から左まで、良心派から実利派までの相違があるということになる。が、すこし前の青函トンネルの記事を注意深く思い出してみよう。鉄建公団が青函トンネルの類を片っぱしからつくり、丸々その建設費ごと国鉄に引き渡す(押しつける)と出ている。同じ新聞によって、国鉄の巨額な赤字の大半が、運輸機関として結果された赤字ではなく、必要性を無視して強行された厖大な施設投資(政治的な税金バラマキ)の尻ぬぐいにすぎないことが明記されているのである。むろん、分割などとは結びつきようのない理由だ。ここから先は、われわれの側の読みこみである。
 名目をつけて租税を資本にバラまいてやるのが、保守永久政権のただひとつのホンシツだ。このバラマキの名目にさんざん国鉄施設を利用し、租税以上の額の部分は国鉄赤字として形をつけ、とうとうそれが限界にきたら国鉄そのものをつぶし(つまり計画倒産)、さらに租税で埋めようというのである。ついでに国鉄の巨大な所有地を、どさくさまぎれに関係政治家の資本に山分けしてしまうのだろう。
 ③は、新聞の片隅の数字を丹念に読みこなすことである。これはむずかしい。記者そのものがわかっているとは思えず、発表をそのままのせているケースも多い。ただ、官庁は記者クラブを通して自在に情報を操っているけれども、エクスキューズ(いいわけ)はつけておかなければならないから、発表すべきことがらを秘匿しているときにも、そっと数字だけは提供していることが多い。本書でのべるコメ不足騒ぎのときも、わたし自身そのような体験をした。数字の意味を読みこなして、記事のニュアンスを自分で書き直せるようになったらたいしたものだが、いまメディア状況はそこまでの努力を読者に強いているはずなのである。

 諸君、受け身の読者(視聴者)であることをただちに止めよ。
 メディア・ファシズムの現状は、想像をこえて進行している。腐敗は深くわれわれ自身を囚えている。テレビのスキャンダルを無邪気に楽しんでいる間に、とりかえしのつかない事態が現出しているのだ。危機が深いほど、しばしば危機は自覚されないものである。そしてメディア・ファシズムとは、あらゆる危機意識を官能の次元において奪ってしまうゆえに真に危機であるようなネットワーク体制のことなのだ。
 この危機にどっぷり身を浸し無自覚であるとき、あなたはとりも直さずメディア・ファシズムの共犯者である。共犯者として人権侵害、冤罪者いじめ、利権かくし報道、差別的な感性の再生産に積極的に関わっている。そしていつかあなた自身、現実とイベント、スキャンダルとニセ・スキャンダル、情報と物語の区別がつかない関係になりおおせ、この腐った鎖国ニッポンを理由もなしにバンバンザイするノー天気になるほかはないだろう。
 情報社会の罠からどのように身をひき離すか、どのように積極的に情報を読み替え、現実そのものに接近してゆくか。その道すじを提案するため、わたしはこの本を書いた。かならずそのための役に立つものと確信している。とりあえず読んでもらいたい。そして、読み進めながら、日々のメディアのもっともらしい情報に接し、そのうえでもう一度この本にもどってもらいたい。わたしの説く意味が、さらに理解されるはずである。
 そののち、日々のメディアに接している自分の顔も鏡に映してもらいたい。メディアが犯罪であるというとき、そのメディアをつくっているのはあなたなのだ。そこまでわからなければ、メディア悪を理解したことにならない。自分には正しさを保証したうえでメディアに注文をつける“良心派”のやり方に一番欠けているのは、この自分の顔に映されたメディアを鏡でとらえるという作業である。だから、“良心的”メディア批評は、批評家の自己満足しか結果してこなかったのだ。
 読者諸君、いますぐメディアとの共犯関係を断ち切れ!

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荒川じんぺい著
『愉しむ山歩き 百の道標
出かける前に読む登山の知識』
著者紹介&立読み版!

書名: 『愉しむ山歩き 百の道標 ~ 出かける前に読む登山の知識』
定価: 450円(税込)

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著者: 荒川じんぺい
1946年生まれ。栃木県壬生町出身。
1966年、月刊誌や週刊誌のイラスレーションとグラフィックザインを中心とした活動をはじめる。
1975年、文芸誌『すばる』のアートデイレクターを12年間担当。
1976年、文芸誌『早稲田文学』のアートデイレクターを23年間担当。
1979年、冒険小説を中心とした書籍の装幀を多く手がけ、イラスト、エッセイ、流木造形と幅広い創作表現をつづけた。

1990年、八ケ岳南麓に創作の場を移し、放送メディアにも幅広く参加し、自然と共感した暮らしと趣味を提言した番組を数多く放送。
1990年、初のエッセイ集「僕は森へ家出します」(岩波書店刊)出版。以来、装幀と執筆を仕事とする。

2002年、八ケ岳南麓に移住。山梨県、長野県と住まいを移す。
2005年、『2005愛・地球博』に、「パソコンお絵描き」と「手作り本」の講演と製作指導で参加。11月25日初めての小説・児童文学「夏の洞窟」(くもん出版刊)出版。
2006年、長野県厚生連富士見高原病院へ広報担当として就職。還暦を過ぎ、初めてサラリーマンとなる。
2007年4月、病院内に付属する、旧富士見高原療養所資料館・館長に就任。

ホームページ ⇒ 荒川じんぺいの森
ブログ ⇒ 写真俳句◆一日一写句

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立読み版は「電子書籍化に際してのまえがき」、「目次」、「プロローグ」、「001|山選びの基本は、人の多い山を選ぶ」です。
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立読み版 『愉しむ山歩き 百の道標』

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電子書籍化に際してのまえがき

 本書の書籍版の上梓(二〇〇一年)以後、私の登山の前進キャンプ地であった小渕沢の山小屋を離れた。今は、南アルプスを眼前にする地に住まう。東は富士山から西は南アルプス西端の鋸山まで、一八〇度のパノラマが望める高台の家に住む。眼下は集落の屋根ばかりで、南アルプスを我が物顔で望められる贅沢を味わっている。遊びに来た友人は、「この景色を三六五日眺められるなら、登山する必要はないじゃないか」と言う。
 否、登山とこの景色とは別物なのだ。汗を流し、苦痛に耐え、危険を友として肉体で感じる充実感は、何よりにも替え難い。さらに、頂に立った時の達成感と壮大な景色の感動は、地球人としての人間の根源に関わる身体の芯から湧き上がる喜びになるのである。
 この感情は、私が登山を始めて直ぐに会得した教訓と喜びである。ゆえに、誰しもが登山による事故に遭遇して欲しくないと願いを込めて本書を上梓したのだ。しかし、出版流通経済の宿命に、しばらく絶版の憂き目にあっていた。これはこれで止む得ないことであると諦観していた。そうした事情に、志木電子書籍から、電子出版の企画をいただいたのである。
 電子出版については、まだ海のものとも山のものともわからない十数年前から、『大震災から家族を守る─アウトドアのグッズと知恵』(中央公論新社・文庫刊)に収録していて、多少の知識はあった。しかし、現在の電子書籍出版は、インターネットの普及と様々なコンピューティングデバイスの登場により、大きく様変わりしてより身近になった。
 本書では、これまでの書籍という紙媒体の制約の中で、全頁単色刷りを余儀なくされていた。だが、端末のディスプレに表示される電子書籍は、オールカラーも可能なのである。既刊の単色だった挿絵をカラー化した。さらに単色刷りでは再現が難しく紹介できなかった、観望天気の元になる雲形のカラー写真を新たに加えた。さらにテクノロジーの進化による記述を大幅に加筆改編した。いわば、既刊単行本をただ電子化したのでなく、改定版ともいえる内容に心がけた。
 志木電子書籍の理念は、『人間(じんかん)に光りあれ』だと聞く。まさに、絶版だった拙書に光りが当てられたのだ。多くの山を愛する人々に、愛読されんことを祈りつつ、再度改訂版として本書を世に送り出す気分なのである。ぜひ、登山計画の際の道標にならんことを願っている。
 居間から眺める南アルプスも裏側の八ケ岳も、ようやく初雪で化粧した。冬は来季の登山シーズンに向かって、山の知識、動植物の知識、自然界の知識を学ぶ季節である。本書を元に“愉しむ登山”を目指して欲しいと願うところである。

二〇一一年十一月 信濃の寓居にて
荒川じんぺい

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  目 次

電子書籍化に際してのまえがき

プロローグ

第一章 山行き前に知っておきたい十カ条


001 山選びの基本は、人の多い山を選ぶ
002 低山登山ブームと登山者の覚悟
003 山歩きの極意は、自分の歩き方を身に付けること
004 登山道具は、これだけ持てば充分
005 体力を過信する人ほど危ない
006 山では、自己責任が身を守る
007 概略図を描いて、地形を知る
008 標高にだまされるな、等高線を読む
009 高い山も、交通アクセスで低山になる
010 自分の救援費は、山岳保険で自己負担

第二章 事故に遭わないための予測行動十カ条

011 山に事故はつきものと思え、山道に入る前の観察
012 切り株や立ち木や電柱で、方向を知る
013 迷ったら最後に見た道標へ引き返す
014 見通しのよい所に出て方向を定める
015 分岐での踏み跡の濃い道は迷い道
016 女性が安心してトイレを足すには
017 休息は、いつ、どうやってとる
018 登山者にとって迷惑のマナー違反
019 緊急避難ルートを確認する
020 携帯電話の効用と道に迷わないハイテク機器

第三章 事故を回避する自然界の脅威十カ条

021 近寄ると即死する有毒ガスとは
022 小石を蹴っ飛ばした。ただちにとる行動は
023 渓谷に付けられた水位跡は警戒のサイン
024 鉄砲水や土石流に遭わない道選び
025 冬山で雪崩に呑まれないためには
026 雪渓、どこを歩けば安全か
027 山の火は、恐ろしく早く走る
028 身体は雨に濡らさない
<029 ガスは晴れるのを待つ
030 雷音が嗚ったら低い場所へ

第四章 山で生じる体調不良十カ条

031 初心者ほど多い疲れの原因とは
032 登山で気分が悪くならない自分の力を知る
033 シヤリバテは、かなり堪える
034 足がつるのも筋肉疲労
035 登山中に足が痛くなったら。靴ズレ対策
036 膝の故障は、これが効く
037 睡眠不足、短時間で眼がさめるコツ
038 酸欠で、高山病にかかったら
039 炎天下で、突然死を防ぐには
040 体調不良に備えるファーストエイドーキット

第五章 獣と毒虫から身を守る十カ条

041 蛇の鋭い牙で咬まれたら
042 風の匂いを嗅ぎ、熊と不意の遭遇を避ける
043 熊撃退に効果を発揮する意外な玩具
044 角や牙をむく野生動物が突進してきたら
045 野生ザルの群れをうまくかわすには
046 野犬集団の、尻尾を巻かせるコツ
047 蜂に刺されてショック死しないためには
048 毒グモは、こんな所にいる
049 生食・生水から罹災する寄生虫
050 アブ・ブユなどの執拗な攻撃から身を守るコツ

第六章 怪我をした時の十カ条

051 外傷は、傷口をまずきれいに
052 出血を止めるには
053 医者が薦めない荒川流止血法
054 ねんざと打撲と骨を折ったら
055 こむらがえりや、肉離れを起こしたら
056 やけどや凍傷をおったら
057 山野草にかぶれたら
058 覚えておくと便利な薬草
059 目や耳に異物が入ったら
060 緊急時に役立つロープの利用法

第七章 知られていない登山の常識十カ条

061 脱いで羽織ってこまめに重ね着
062 快適登山服は新素材、しかし命を託す装備でもある
063 最近の主流はトレッキングシューズ
064 登山靴の選択、買うのは夕方
065 意外と知らない靴紐の結び方
066 ザックを体の一部にする背負い方
067 コンパスと地形図は、絶対携行品だ
068 現在地を知る基本は
069 現在地がわかっているときの進行方向
070 天候の大きな変化と推移は天気図から

第八章 山の恵みの落とし穴十カ条

071 自然界の毒は山野草に多い
072 山菜・野草はむやみに食べるな
073 食べられる山野草
074 山野草や森の恵みを採るときの注意
075 山野草を調理する
076 キノコ採りは詳しい人と一緒に
077 採ってはいけないキノコ
078 食べられるキノコ
079 木の実の採集における注意
080 食べられる木の実と危険な木の実

第九章 緊急時の食う寝る基本十カ条

081 安全な寝ぐらを確保する露営術
082 自然と一体になれる露営の薦め
083 冬山で身につけたい雪洞生活術
084 スパッツは、長靴を履いた気分
085 ザックには、ライトが必需品
086 緊急時の焚き火と防火
087 かまどのつくり方と料理に適した焚き火
088 調理器具を使わない野外料理
089 飯盆炊飯は時代遅れ、今風のご飯の炊き方
090 カラマツ茶や笹茶で体力を維持する

第十章 山を愉しむ十カ条

091 樹木の種類と植生を知ると山が読める
092 山野草、綺麗な花には毒がある
093 高山植物は、瞼に写して帰る
094 ものさし鳥を知り、飛び方や歩き方で見分ける
095 動物の落し物で種類を知り遭遇を回避する
096 愛犬を山に連れて行くな
097 冬山を恐れるな、低山は冬こそ快適
098 山座同定は、登山の楽しみを増やす
099 雲を眺め読むと、天気が判る
100 記録で、自分の体力の目安を知る

あとがき

登山・トレッキング専門用語
僕の山行携行図鑑・参考図書

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 プロローグ

 僕はこれまで森が好きで、週末になると東京近郊のどこかの森を逍遥していた。逍遥していたといえば聞こえがいいが、ただあてもなく徘徊していたのだ。その挙句、一九九〇年、八ヶ岳南麓の森に山小屋を建ててしまった。僕の仕事は装幀家で、東京でなくては仕事ができない。週末になると森に帰る往復生活を、やむなく選択したが快適だった。森での暮らしや遊びの中で体験した森羅万象の感動を、何冊ものエッセイに綴り出版し、ラジオやテレビで紹介してきた。
 四年前、そうした経験と知識をかわれ、CS衛星放送「じんぺい通信」と『荒川じんぺいの低山ベストコース』という三〇分の二つのテレビ番組のために、山登りをはじめた。これまで山岳会に所属したり、技術指導を受けた登山の経験はなかった。だが、十数年森を歩いていた経験と知識で、山とその自然環境を解説し、紹介することができた。二年間毎週といえば、五二回の放送回数になるが、この倍は山に登っていただろうか。いつのまにか、ひとり、愉しみで山に登るようになっていた。
 しかし、所詮登山の初心者。撮影スタッフも素人の集団だった。ときには、ベテラン登山家の指導とサポートを受けた。あるいは、山小屋経営者や山林事業者である森人の指導を仰ぎ、世話になったのは言うまでもない。
 こうした過程でさまざまな登山に関する書籍や雑誌を開き、ビデオテープを見た。だが、登山に関する書籍や雑誌を読むほどに、初心者の僕が知りたい情報がないもどかしさを感じた。登山技術以前の登山用具の初歩的な知識が知りたくても、書かれていないのであった。書き手である著者たちが、プロの登山家ゆえに省いている知識が多いのではと思えたのである。
 登山をするようになって、山小屋へ泊まるのが愉しみになった。山小屋の夕食時間は、実に早く六時ごろが一般的だ。どこでも九時には消灯になるから、食後の団欒が愉しみになった。こうした機会に、ベテラン登山家や小屋の主人の体験談が聞けるからだ。彼らの自慢話に耳を傾け、ときには愚にもならない質問をした。
 たとえば、「登山靴の編み上げ紐の止め方や結び方」もそうだった。僕は、登山中に靴紐が何度も緩み解けてしまう。結び方が悪いのではと思った。きっと正しい結び方があるのだと思ったのだ。そうした疑問や質問を登山家に向けると、大抵が「学生時代に先輩に教えられた……」とか、「そんなの常識じゃないの……」と、蔑みの目線を送られてしまったことがある。僕の僻(ひが)みだろうか……。
 中にはひどい登山家もいて、「山小屋へ着いて早々、お風呂はどちらですかって、聞いてんだぜ……」と、みんなでイッヒイッヒと、下品な笑いで酒の肴にしていた。「そんなことも知らないわけ、それでよく登って来るよ。ブームにも困ったものだよ、ワハハー」と、笑う。そうした初心者の無知や失敗を笑い話にしてしまっているのだ。初心者の無知を理解するように、教えてやるのがベテランじゃないかと、憤慨した。彼らは、現在の登山者の状況を認識しようとしていないのだ。その上、低山登山のような山を「あんな藪山」とあざけるのである。一部の人たちだと思うが、そうした言葉に山ヤの特権意識を感じてしまったのである。
 かって、「岩登りできないやつは、山に登るな」とも言われたことがある。確かに、山に登るなら最低限の登山技術は、知っておく必要はある。山奥の登山口まで道路が整備され、自家用車で気軽に到着してしまう。そうした状況で、山を舐めてかかり、一部に危機管理意識が欠落した登山愛好家がいるのも確かだ。だが、こうして笑い話で済ませていては、健全な登山文化と大衆登山は育たない。現在は、山岳会や登山倶楽部に所属しない一般的な登山者が多い。そうした人々にモラルも含めた情報を、食後の団欒(だんらん)や山頂の休息の短い時間を利用してでも伝えていくのが、先達たちの使命だと思うのは、独り勝手な考えだろうか。
 短い経験であるが、山は実地でさまざまな状況に遭遇し、対処してこそ学習できるものと理解した。僕は、短期間であるが、実に密度の濃い登山経験をした。そうした経験をとおし、山と登山者と技術を含めた知識を考察し、荒川流の知識を会得したのである。
 テレビ番組のシリーズ制作は終わっているが、毎年僕流の新しい山歩き番組を数本制作し放送している。僕自身、山歩きに魅了されてしまったからだ。毎月三回は、登山を楽しんでいる。週末は、八ヶ岳南麓の森を逍遥している。そうした経緯で、近年は関東近県から中部地帯の山に登ると「番組を観てますよ」と、何組もの登山者が声をかけてくれる。それぞれの山頂で出会う人々や、寄せられたファンレターを読むと、実に多様な世代が山歩きを楽しんでいる。実際、休日には二〇代から六、七〇代までの人々に出合う。平日の山頂では、美容師やデパートの店員など、立ち仕事の職業の女性が多く、主婦同士の日帰り登山者も多い。
 これも近年の健康志向と、金のかからない遊びの影響かと思われる。そうした人々が共通しているのは、「登る」とか「頂上を極める」といった目的でなく、「眺めて」「触って」「知る」といった、それぞれが趣味を持ち込み、知的好奇心を満足させる登山姿勢だ。それぞれが、バードウォッチングや植物鑑賞やスケッチを愉しむわけで、いわゆる低山の中高年登山ブームと言われているのは、そうした魅力に惹かれてしまった人々である。僕はそうした人々を敢えて「物見遊山の登山家」と、定義するところだ。
 山で声を掛けてくれる人たちは、「キミの番組は、初歩的な知識を丁寧に解説してくれるから…」と、そろって言ってくれる。また、ファンレターにも同じようなことが書かれている。こうした事から、これまで番組で厚顔にも披瀝(ひれき)してきた我流の登山知識を、一冊に編みたいと思うようになった。低山登山の愛好家たちである初心者たちほど、そうした知識をもっとも必要としているのを感じたからだ。もちろん、怪我や病気に対処する書物もある。初心者登山ガイド的な類書はたくさん出版されている。だが、本当に知りたい初歩的な知識は省略されている。また、こうした知識が総合的に書かれた書籍は見当たらない。そんな体験から、執筆を思い立ったのである。
 執筆の機会をくれた当出版社のY編集長とは、古い友人である。幸いなことに、彼は学生時代からのベテラン登山家だ。ヒマラヤ登山の経験もあり、数年前には共通の友人である小説家・夢枕獏さんと中国側からのチョ・オユー登山や、カイラス山巡礼などに同行したりしている。登山家ゆえに、僕流のこうした一般的な登山知識をまとめる意義を理解し、必要性を感じてくれたのだろう。僕には、何よりの励みとなったのである。
 だが、初心者という広範囲な読者を対象にした書物で、「危険回避」というテーマを掲げる以上、著者の僕に甘えは許されない。重ねて書く、初心者ゆえに初心者の気持ちになって厳選して項目を拾い出した。森歩きが趣味ゆえに、登山家が気づかなかった森と山の知識もある。自ら公開したくない恥ずかしい失敗をたくさん体験した。体験談を披瀝するのも著者の務めだと、事実を書いた。運もあるだろうが、知識は安全につながり、無知は死に至る。この一冊が、少しでも安全登山に役立てば幸せである。

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第一章 山行き前に知っておきたい十カ条

001|山選びの基本は、人の多い山を選ぶ

 山歩きを始めたいと思っても、自分の体力も分からず、選択に迷う人が多いだろう。友人に薦められ、いきなり険しい山に登らされ「もうこりごりだ」と、いう人がいる。ただ苦しい思い出だけが記憶されたのでは、次も行きたいという欲求が湧かなくなってしまう。景色や周囲の植物を愛でてこそ、物見遊山の山歩きなのである。
 まずは、山道になれることが大切だ。山道は、平地で歩く速度の三分の一ぐらいになる。山道は、アスファルトの平面な道と違い、踏み出す足が着地するたびに変化している。石コロあり木の根あり段差ありと、変化の連続である。ほんのちょっとした段差で蹴つまずけば、怪我のもとだ。
 アップダウンを繰り返す山道は、ときには両手を使ってよじ登る個所もある。尻を突いて滑るようにしないと降りられない場所もある。階段の道では、自分の歩幅に合わない段差がおおい。こうした状況の道に慣れないと、歩きながら周囲の景観を愉しむ余裕も生まれない。一歩一歩、着実に足を繰り出す足運びを会得すると、山歩きが楽しくなるはずだ。こうした足慣らしは、人気のあるハイキングーコースや郊外の起伏のある公園がよい。
 足慣らしをしたら、無理なく挑戦できる日帰り登山からはじめることだ。僕は、高尾山に何度も通った。はじめはロープウェイを使い、城山(標高六七一メートル)まで歩きピストンで帰った。ピストンとは、同じコースを往復することだ。二回目は、ロープウェイを使わず下の高尾山口から城山まで歩き、裏高尾の日影(ひかげ)のバス停まで歩いた。そうして徐々に山歩きのできる足運びに慣らしたのである。
 初めての山は、交通の便がよい人気の山を選ぶことを薦める。最初は、気張らず地元の小学生の遠足に利用されているような山や、ハイキングていどで人気のある山を選ぶことだ。電車やバスで二時間ほどで登山口に着くぐらいの山を目標にすれば、初心者でも無理なく歩けるはずだ。
 人気の山ということは、それだけ人が多いということだ。登山者の多い山は、その山域の属する自治体が、観光向けにコースや道標を整備している。何よりなのが、整備された休息所や水場や便所が充実している。そして、比較的安心して登れる山が多く、魅力的な景観が期待できる。
 多くの人が入山しているということは、登山道も踏みしめられていて、ルートがハッキリしていて迷い道がない。また、いくつかのルートが整備されていて、急なトラブルが発生しても緊急避難路としてのエスケープルートが利用できて安心だからである。
 自分の体力を確かめるぐらいの気分が、山頂の景観を愉しむ余裕がもて、物見遊山を長続きさせるコツだろう。自分の足で立った頂上の充実感と達成感は、何よりの感動をともなう。「次も登ろう!」と、いう気分が湧きあがってくることだろう。

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※本書は単行本出版時から加筆、修正し、また電子書籍ならではのカラー画像、イラストも新たに加えてあります。


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志木電子書籍 代表略歴

志木電子書籍 代表略歴
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京谷六二(きょうや・むに) 
1962年月生まれ。神奈川県横浜市出身。
 ⇒1962年生まれだから「六二」。それだけ。

専修大学文学部国文学科卒。

1985年、株式会社光文社入社に入社し、カッパ・ビジネス編集部に配属。以後2000年3月までカッパ・ビジネス、カッパ・ブックス編集部。
担当著者は、小室直樹、田原総一朗、小泉純一郎(『郵政省解体論』『官僚王国解体論』)、飯島勲(『永田町の掟』<講談社文庫『代議士秘書』の親本>)、徳大寺有恒、梶原一明、梁石日、永六輔、住井すゑ、辛叔玉、中野孝次、八木啓代、他多数。

2000年4月、週刊宝石編集部へ異動。

2001年2月、週刊宝石の休刊に伴って、再びカッパ・ブックス。

2002年10月、広告部へ異動。以後、2010年5月に早期退職に応募して退社するまで、FLASH、女性自身、バーサス(休刊)、Martなどの営業を担当。この間、マスメディア広告の衰退を現場で体験。
2011年7月、志木電子書籍を成立、代表取締役として活動中。
あわせて「健全法治国家のために声を上げる市民の会」事務局長としても活動中。

個人ブログ ⇒ 「誰も通らない裏道」

幻の小説「風流夢譚」を電子書籍化した理由

※なお、週刊宝石休刊の経緯は、「誰も通らない裏道」の「ドキュメント出版社シリーズ」に詳細を連載しました。
「ドキュメント出版社 その1」
 ⇒以下、「ドキュメント出版社シリーズ」をお読みいただく場合は、こちらをクリックして下にスクロールしてください。

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電子書店 対応端末一覧表を作成しました!

電子書店は、購入先によって使用できる端末が異なります。
以下に一覧表を作りました(随時、更新していきます)。
画像をクリックすると拡大します。

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京谷六二 著
『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』
著者略歴&立読み版!

書名:『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』
価格:500円(税込)

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著者略歴
京谷六二(きょうや・むに)
1962年月生まれ。神奈川県横浜市出身。
専修大学文学部国文学科卒。
1985年、株式会社光文社入社に入社し、カッパ・ビジネス編集部に配属。以後2000年3月までカッパ・ビジネス、カッパ・ブックス編集部。
担当著者は、小室直樹、田原総一朗、小泉純一郎(『郵政省解体論』『官僚王国解体論』)、飯島勲(『永田町の掟』<講談社文庫『代議士秘書』の親本>)、徳大寺有恒、梶原一明、梁石日、永六輔、住井すゑ、辛叔玉、中野孝次、他多数。
2000年4月、週刊宝石編集部へ異動。
2001年2月、週刊宝石の休刊に伴って、再びカッパ・ブックス。
2002年10月、広告部へ異動。以後、2010年5月に早期退職に応募して退社するまで、FLASH、女性自身、バーサス(休刊)、Martなどの営業を担当。この間、マスメディア広告の衰退を現場で体験。
2011年7月、志木電子書籍を成立、代表取締役として活動中。

※なお、週刊宝石休刊の経緯は、ブログ「誰も通らない裏道」の「ドキュメント出版社シリーズ」に詳細を連載しました。
「ドキュメント出版社 その1」
 ⇒以下、「ドキュメント出版社シリーズ」をお読みいただく場合は、こちらをクリックして下にスクロールしてください。

<<<<立読みコーナー>>>

立読み版は「まえがき」、「北朝鮮よりタチの悪い会社」「あとがき」です。
PDFの立読み版の下に、テキストの立読み版もあります。
※PDF版は画面左下「Scribd.の右隣りにあるアイコン[view in fullscreen]のアイコンをクリックすると拡大されます(画面を元に戻す時には、[Exit Fullscreen]をクリックしてください)。
文字は画面下の「+-ボタン」で拡大縮小します。ただしリフロー(スクロールしないで画面の範囲内で文字拡大していくこと)はしません。

<<<各電子書店へのリンクは左サイドにあります。書店と端末ディバイスの対応表をご確認の上、書店をお選びください。>>>

立読み版_東京電力福島第一原発事故とマスメディア

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まえがき

 本書は、私が二〇〇六年から始めたブログ「誰も通らない裏道」の中から、原発問題とメディア問題について書いたエントリーをピックアップして電子書籍化したものである。
 目次を見ていただければ一目瞭然だが、私は反原発の立場にあり、またマスメディアのありようにも長らく疑問を持ってきた。
 私のブログの主張(=本書のテーマ)は突き詰めればただ一つ、「日本は民主主義とは真逆の、世界でもっとも優れた霞が関(官僚)中心の独裁国家であり、マスメディアもそのシステムに組み込まれている」という点にある。
 こう書くと荒唐無稽な主張のように思われるかもしれないが、二〇〇九年の衆議院選挙の五カ月前に起きた小沢一郎をめぐる“陸山会事件”にしても、今回の東京電力福島第一原発の事故にしても、その視点に立つと説明がつくと私は思っている(“陸山会事件”については、小沢一郎の秘書だった石川知裕衆議院議員、そして池田光智、大久保隆規の両元秘書の裁判において、検察側が証拠請求した被告の供述調書の大半が裁判所に却下されたため、もはや検察審査会の議決によって起訴された小沢一郎の公判も含めて、特捜部がでっち上げ、マスメディアが煽った事件の構図は完全に崩壊している)。
 だが、一方で私は一九八五年から二〇一〇年五月までの二十五年間にわたって株式会社光文社に勤務していた。つまり四マス(テレビ、新聞、雑誌、ラジオ)の端くれの中にいたわけで、「お前も同じ穴の狢(むじな)じゃないか」と言われれば「おっしゃる通りです」と答えるしかない。ただ、言い訳をすれば、内部にいたからこそわかることも少なからずあったことは事実である。
 私の経歴については著者略歴に記したが、光文社入社後から十七年半は編集として、主に書籍のノンフィクション部門におり(ただしその間に十カ月だけ週刊誌の経験がある)、その後二〇〇二年から退職までは広告部で営業をやっていた。
 当時、編集、それも書籍から広告部への異動というのは非常に珍しく、おそらく私が初めてのケースだったと思う。それだけに、当初は相当に戸惑ったものだったが、慣れてくるとこれが意外にも自分には向いていた。それは基本的に私が外向きの人間だったからなのだが、この仕事をやって何よりも良かったのは、それまでまったく知る機会がなかった広告(これこそはマスメディアの巨大な収入源である)の仕組みをリアルな形で知ることができたことだった。
 私のブログは広告営業になってから始めたものだが、今読み返してみてもこの経験なくしては書けなかったことが少なからずある。
 メディアと企業が広告を通じていかに結びついているかは、東京電力福島第一原子力発電所の破局事故を考える際の重要なテーマであると私は思う。

 さて、とはいえ素人の書いたブログを書籍化したものなので、読み苦しい点も多々ある。都度都度で書いているため、内容に多少の重複があることと合わせてご容赦いただきたい。
 本書は東日本大震災の直前までに書いたものを「第一部」とした。各エントリーの最初にはブログアップ時の日付を入れ、各項の最後には新たに「追記」を入れている。これを見ると、原発問題については二〇〇八年までが多く、その後は減っている。
 その理由は二〇〇九年以降、ブログの力点がどうしても小沢一郎をめぐる“陸山会問題”、衆議院選挙、政権交代、その後に続く民主党の迷走に移ってしまったからだが、この間も原発についてはずっと危惧してきた。また、小沢問題、検察問題などのトピックと今回の原発事故とは根底のところでつながっていると私は思っている。
 本書の構成に話を戻すと、『私の「3・11」』は書き下ろし、さらに第二部として大震災以降のエントリーをできる限り掲載した。
 事態は現在も刻々と進行しており、いつ、いかなる形で収束するのかさえわからない(間違いなく私の生きているうちに収束することはない)。したがって、今後もブログは書き続けていくことになるが、まずはここまでにまとめたものをご一読いただき、ご感想、ご批判をいただければ幸いだ。

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  目 次

まえがき

第一部 「3・11」以前
 盗まれた都市
 小泉靖国参拝で脳裏に浮上した天下の暴論
 薄気味悪い気分になるニュース――結果的に北朝鮮問題
 北朝鮮についての続き
 原発は高い
 問題は最初にタイトルをたてる立てること
 予定調和国家
 すべては予見されていた
 北朝鮮よりタチの悪い会社
 二つの島国
 世界の独裁者が憧れる国
 柏崎原発――想定内の事故
 原発事故とオール電化住宅
 燃料電池と原子力発電
 こういう記事に引っかかる
 真っ当でない連中と真っ当な方
 広告で雑誌のお里が知れる?
 餃子と市場原理主義
 フィデル・カストロの価値
 亡国の官僚たち
 大マスコミが報じない政局
 鳩山邦夫の死刑執行には官僚独裁のエッセンスがつまっている
 理解の範疇外
 コメンテーターが作り出す「空気」
 新聞の政治面は究極のタイアップ広告
 わずか十一行の記事で民主のアホ議員(枝野幸男)に呆れてムカついた
 日本の「人間(じんかん)」は影だらけ
 島耕作と麻生太郎-「週刊朝日」の惨状
 「週刊朝日」、島耕作のダメっぷりと「SPA!」の健闘
 これが「自民党=ニッポン」クオリティ
 “電池の時代”が暴く原子力産業の暗闇
 ピーコの疑問と世論操作
 もっと重要なニュースがたくさんあるだろっ!
 不敬企業、不敬メディア
 地震の際の原発関連ニュースは発表ジャーナリズムの典型である
 東海地震と浜岡原発関連~溝上教授のコメント
 河野太郎を少し見直した件とある環境問題
 マスメディアこそが虚業だった
 今がその時
 広告不況がもたらすマスメディアのもう一つの劣化
 原発広告とメディアの関係

私の「3・11」

第二部 「3・11」以後

 圧倒的少数派
 マスメディア総崩れの中で
 稼働中の原発はすべて止めるべきである
 平成の「神聖喜劇」は世界を巻き込み始めている
 サッカー日本代表は、南米選手権に出場するべきだ
 神頼み国家になった日本
 戦争と原発事故の違い
 不景気、大震災、原発事故 ~ 若者たちを襲う困難をどうすべきか?
 東京電力とメディアが事故後の広告料金を開示しなければならない理由
 浜岡原発の停止要請は当たり前のことがやっと一つ実行されただけ
 そもそも原発を運転する資格すらなかった会社が事故処理などできるわけがない
 原発の是非は、小学生以上、四十歳以下の人たちに問うべきだ
 原発問題を動かすことができるのは女性の力
 東電はもはや本気で事態を収束させるつもりはない
 十万円訴訟でわかった東京電力の恐るべき本音
 「最小賠償企業」を目指す東京電力の目論みは成功するか?
 今、声を上げなければ国民も政府と同罪になる
 東京電力に破防法適用を!
 日本が真の民主主義国家になるための条件
 霞が関独裁帝国が崩壊する時
 前代未聞の核災害を“食”から考える
 東電の責任追及はテロとの闘いである
 原子力推進派にデモクラシーマインドはない
 菅直人の脱原発宣言を疑う
 これから首都圏に家を買うのはおやめなさい

あとがき
著者略歴
「志木電子書籍」誕生のことば

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北朝鮮よりタチの悪い会社 (2007.04.05)

 昨日の日経朝刊社会面に次のような記事が出ていた。

福島第一原発 放射能汚染 測定ミス
警報鳴らす設定 100倍緩く

 東京電力は三日、福島第一原子力発電所(福島県)で、作業員の放射能汚染量を調べる計測器の一つに設定ミスがあり、基準値を超える汚染レベルを検出しても警報が鳴らない状態だったと発表した。本来の設定値より百倍緩く設定していた。放射能汚染の管理について定めた保安規定に抵触していると判断し、経済産業省原子力安全・保安院に報告した。
 作業員の被曝(ひばく)はなかったという。今後、原因を調査する。
 東電によると、三月三十一日、福島第一原発5号機の圧力抑制プール水貯蔵タンクのポンブ室内に設置した放射線計測器の点検中に、計測器の設定値が誤っていることを作業員が見つけた。
 計測器はポンプ室から作業員が出る時に身体や衣服に付着した放射能を調べるための装置。設定値を超える汚染を検出した場合、警報が鳴る仕組みだが、設定値が規定の百倍だったため、警報が鳴るべき値を見逃した可能性があるという。いつから設定値が誤った状態になっていたかは、分からないという。

 わずか四十行程度であったが、驚くべき内容である(と私は思う)。
 もう少し詳しいことが知りたいが日経ではこれが限界なのか。そう思って出社してから朝日、読売、毎日をザッと眺めてみたが、このことに関する記事はない。これは一昨日の夕刊で日経が特オチしたものなのかナと思い、三紙の夕刊を見てみたがやはり見つけられなかった――。
 つまり日経だけが書いたようなのである。
 それにしても不思議な記事だ。「放射能を検出する測定器の設定が基準の百倍」で、しかも「警報が鳴るべき値を見逃していた可能性」があり、「いつから誤った状態になっていたか分からない」にもかかわらず、「作業員の被曝はなかった」というのである。
 もちろん原発で働く下請け、孫請け、そのまた下請けの労働者が過酷な労働環境下で多量の放射能を浴びながら作業をしていることは、原発に少しでも関心がある人にとっては知られた事実だ。実際問題として測定器が正確に動いてしまったら、およそ作業らしい作業をする時間もないまま引き返して来なければならないという。つまりこの問題も現場では常識的なことで、それを今まで隠蔽してきたに過ぎない可能性が高い。その結果原発の現場では被曝した労働者を多数生み出してきたにもかかわらず、これが公になることはほとんどなかった。
 電力会社というのは表向きは超優良企業である。にもかかわらず実際はきわめて差別的な構造に根ざしており、下請け業者に過酷な労働をさせておいて徹底的な情報統制をする。これは社会構造として見るならば多くの日本人が大嫌いな北朝鮮とまったく同じだ。あるいはいくつかの宗教団体とも。
 しかし私は北朝鮮やいくつかの宗教団体よりも電力会社のやっていることの方がタチが悪いと思う。なぜならば、もし原発が破局的な事故を起こした場合、日本という国そのものが滅亡する可能性がきわめて高いからだ。そのような会社のトップだった人間に与えた勲章などというものはすべて今上天皇の名において剥奪(はくだつ)すべきである。

※追記
 今、福島第一原発では、作業員の方々が命がけで作業をしている。もちろんその中には東京電力の社員もいるが、少なからぬ下請け労働者が働いていることは事実だ。いったい彼らの健康に関する責任は誰が取るのだろうか?
 私は思うのだが、はっきり言って日本の命運、いや世界の命運さえもが、この現場で過酷な作業をしている方々にかかっている。だとしたら、たとえ下請け、孫請けだとしても東京電力、あるいは政府が彼らの健康に関するチェックをきちんとやり、健康被害が起きた場合については一生の面倒を見るべきではないだろうか。少なくとも、許容された被曝線量(これ自体の基準引き下げも大問題だが)を越えた労働者がポイ捨てされるようなことがあっては断じてならない。

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あとがき

 昨年五月、光文社を退職するにあたっては、次の仕事の予定は何もなかった。
 退社後、最初は有田芳生さんの参議院選挙を手伝っていたが、それが終わると「さて、どうしたものか……」とハタと困ってしまった。
 出版業は明らかに斜陽産業に思えたから会社を辞めたのであって、もう一度そこへ戻るつもりは当初はなく、できればソーシャルメディアを有効に利用して、NPOを立ち上げられないかなどと考えていた。
 ところが縁あって、秋口からボチボチと電子書籍の仕事にかかわるようになった。
 電子書籍については、出版社によって相当に温度差がある。積極的な会社もあれば、反対に非常に懐疑的な会社も多い(光文社は後者だった)。もちろん、懐疑的になる気持ちは十分にわかる。なにしろ、これまで電子書籍というのは、掛け声ばかりでなかなか本格的に普及しなかったのは事実なのだ。
 しかし、パソコン通信の時代からネットワークに接してきた私の感覚として、昨年からの電子書籍の流れは、これまでのように一過性で終わるものではないのではないかと思うようになった。
 もしそうだとしたら、これまでの編集や広告の経験を生かせる可能性がある。そう考えて本格的に電子書籍をやろうと決意した直後の三月十一日にあの東日本大震災が起き、東京電力福島第一原発が破局的な事故を起こした。
 これは大変な事態なのだが、しかし一方で、いよいよ流れは電子書籍の方向へ行くのではないかと強く思うようになった。
 その時、思い立ったのは、「だったらまずは自分の電子書籍を自分で作ってみよう」ということだった。幸いにも私は比較的長く原子力発電について考えてきて、それに対するブログのエントリーが結構な数になっている。それをまとめると、そこそこの量になりそうだった。そこで、ブログからテキストを抜き出し、自分でタグを打ってデータを作ったのが本書である。
 で、そう思いついてから、しかし制作に意外に時間がかかってしまったのは、私が怠惰な人間だからだ(この間、妻からは「早く出せ」とせっつかれた)。だが、結果的には、それによって大震災後の状況も入れ込むことが可能になったのは良かったとも思う。
 本書がどれほどの人の目に触れるのかはわからない。だが、これから自分のブログやツイッター、フェイスブックなどでこの電子書籍の存在を頑張って伝えてみようと考えている。
 世の中はマスの時代から個々の発信がソーシャルに結びつく時代に否応なく突入している。おそらく、今回の大震災と原発事故で、それはさらに加速するだろう。その可能性を信じてみたいと思う。

 それにしても、このような形の電子書籍であるとはいえ、自分の著書を作ることができたのは、編集者としてのそこそこの経験があったからである。その意味で、私の光文社入社時の直属の上司、というよりも師匠であり、私にカッパ・ブックスのノウハウを叩き込んでくれたK氏、そして私をパソコン、ネットワークの世界に引き込んでくれた当時の同僚で先輩のF氏、後輩のS氏に心から御礼を申し上げたい。この三人がいなければ、本書はできなかった。
 それ以外にも御礼を言わなければならない方々はたくさんいる。
 光文社広告局のかつての同僚のみなさん、私を電子書籍の仕事に導いてくれた元光文社で一緒に退社したH氏、さらに電子書籍の制作を一から教えてくれた有限会社ワイズネットのみなさん、本当にありがとうございました。
 また、私の拙いブログを評価していただいた作家で衆議院議員の田中康夫氏にも心からの感謝と御礼を申し上げなければならない。怠惰な私がブログを細々とではあるが継続できたのは、尊敬する田中氏から望外の評価をいただいたからに他ならない。

 最後に――。
 私が光文社に入社して最初に担当したのは小室直樹先生であった。天才学者と駆け出しの編集者との間にはずいぶんドタバタ劇があり、結果、先生にご迷惑をおかけしたことも多々あったが(お世話をしたことも多々あった)、しかし担当としてお付き合いさせていただいた十年間は非常に充実したものだった。
 その小室先生は昨年九月に逝去された。それから半年後、東日本大震災が起きたわけだが、会津ご出身の小室先生がご存命であったら、今回の大震災とそれに続く福島第一原発の破局事故についていかなる分析をされたか。それを伺うことができないのが残念でならない。
 本書を締めくくるにあたり、故・小室直樹先生のご冥福を心よりお祈りいたします。

二〇一一年七月二十六日

京谷六二

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