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2011年10月

2011年10月17日 (月)

『週刊岡庭昇41』 ~ 虚無国家ニッポン。

少し間隔があいてしまいましたが、『週刊岡庭昇』、その41、「虚無国家ニッポン。」をお届けします。

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週刊岡庭昇 41 ~ 虚無国家ニッポン。
(2011.9.20記) 

 散歩の途中、窓に向かってビル一階の椅子に腰掛けでいるわたしの前を、若い母が通り過ぎる。赤ん坊をおんぶと反対に首から下げている。霧のような淡い雨だが、間違いなく黒い雨が降り続いている。母親は傘もささず、乳母車なら辛うじて備えている屋根さえない。ちょっとわたしはびっくりするが、まだ暑い季節が続いているから気にも留めないのだろう。だがむろん、福島第一原発の爆発から半年、事態は何も換わっていないことは明白だ。
 どうしてこんなにむちゃなことをするのだろう。まさに実存としか形容出来ない一幅の絵である。なにもこの若い母を叱るわけではないが(そんなおっせっかいをするには、この国には絶望し切っている)、ちょっと報道を締めてある問題の露出を避ければ、事実は立ちどころに存在しなくなってしまう。例によって例のごとし、である。これほど操作しやすい「国民」もあるまい。
 昨日は原発爆発担当大臣が、冷温停止状態という目標は対策が進み、年内にも問題が解決するような演説をIETAで行った。またもペテンか? あてのない解決を、言い続けることが政治なのか。しかしペテンを前提にして、原発周辺の住民を家に返そうとする欺瞞に連続するのだから、放って置く訳にもいくまい。
 現実に触れないようにする操作と、ばらまかれるペテンの組み合わせ、それに嫌なことは極力忘れるように努める国民性との三位一体で、肝心な事実はいつものように雲散霧消する。あらゆる対抗理念の試みは挫折し、江戸時代はすっかり蘇った。不満を持たず従え。さすれば自分だけは救われる……。
 東電がすっかり増長して、被害者である国民に加害者たる自己の尻拭いをさせて平然としているのも当然なのかも知れない。加害者が被害者に事態の責任を負わせている端的な例は「節電」協力、正しくは強制である。暑い8月、近所の旨いコーヒー喫茶店は、「ギンギンに冷えてます」と謳って心意気を示したが、いつのまにかその看板を取り下げた。彼は何も言わないが例の文法、身近の人々や業界の、あれは「やっぱり」まずいよ、「この際だから」という情緒的な圧力があったことは容易に伺えるのだ。そうやっていつもこの国では、誰が悪いのかが問われることはない。すっかり安心してるだろ! 戦犯=原発=東電さんよ。
 2011.9.17の『東京新聞』朝刊の『こちら特報部』は、戦犯=東電のさらにつのる傲慢さを教えてくれる。「見出し」だけで、どんなに傲慢か分かる。

《東電 反省ゼロ/「知的財産守るため」/事故対策手順書 真っ黒/節電感謝 社長の姿なし/無神経な強気/値上げ武器 再稼働迫る/識者「まず総括原価方式変えよ》

 説明の必要はあるまい。恥知らずの開き直りに、つける薬などありはしないのである。そういうものには「解体」を希望するしかないのだ。
 2011.9、震災半年の時点で、福島第一原発爆発の隠された秘密のうち、明らかになった事実は大きなものに絞っても三つある。いずれも民衆が怒って、革命騒ぎになっても不思議ではない「秘密の暴露」だが、この国では不愉快な「おインテリさま」が、自己のナルシズムを満足させるための正義の表出(というイベント)がせいぜいのところである。それは決まって抽象の正義であって、AC共同広告機構と同じ代物なのだ。
 2011.9までに露出した、政府=東電のデマゴギーは無数にあるが、決定的なものはいま言ったように三つある。すなわち福島第一原発が爆発以来、垂れ流して来た放射能の総量はヒロシマの39.6倍に達しており、しかもその被爆からの立ち直りがヒロシマの場合年1000に対してフクシマ原発の場合20と比較にならぬほど深刻であることが一つ。なかでもセシウムの場合、フクシマはヒロシマの400倍である、というのがその2である。そして被災当初、原発が適切に任務を果たしていれば、爆発は起きなかった可能性が具体的に調査で明らかにされた、というのがその3である。
 どれも大変な事実であり、原発そのものの存続において致命的である。原発再開論など、意見の違いも何でもなく、ためにする悪党の言い草にすぎない。こんな失態が明らかになっても、虚偽を続けてきた政府=東電はなお恬として恥じず、実際上帝王だと言われる東電会長は逮捕は愚か、辞任さえしない。この奇妙極まりない奴隷のおとなしさを必然しているのは、何よりも民衆の側の「いくら批判しても、所詮は原発がなければやっていけない」という日本型メイファーズである。しかし一体誰が、そんなことを決めたのだ!
 実は財界=政界=マスコミによるスタート時点での、未来学的な蒙昧と楽天を引き摺った、根拠なき原発必要悪論こそが欺瞞の根源である。原発必要悪説を断固糾弾せよ。そんなことは刷り込まれた虚構で、ちっとも自明ではないと知るべし。
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Gwngos

かくもさまざまな言論操作

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2011年10月 7日 (金)

『光文社争議団』 発売となりました!

前エントリーでお知らせいたしました、『光文社争議団』がボイジャーストアから発売となりました。
小さな労働組合が多くの支援を得て総資本に完勝した稀有な記録ですが、昨年、出版業界の話題をさらったたぬきち氏の『リストラなう!』の前史としても読むことができます(たとえば「リストラなう!」で“大殿様”として描かれている光文社の前社長は、無期限ストライキに突入した組合が分裂し、第二組合が設立された時の執行委員に名を連ねています)。
これから当ブログでは、少しくこの本にまつわるストーリーも書いていきたいと思いますので、是非ともご覧いただければ幸いです。
また、この闘争の記録は映像としても残っています。本書と合わせてこの映像を見ると、戦後の一つの時代と現代とを比較することもできると思います。
こちらの映像をどのように公開するか、現在、検討中です。

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・光文社争議団 ~ 出版帝国の“無頼派”たち、2414日の記録

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2011年10月 5日 (水)

志木電子書籍 新刊のご案内 ~ 『光文社争議団』

このたび、10月7日に弊社の新刊を発売いたします。
タイトルは『光文社争議団』です。

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これは私が昨年まで25年間在籍した光文社で1970年に起きた労働争議の記録です。
この争議は解決までに6年半を要しました。
1970年4月、当時の経営者・神吉(かんき)晴夫(カッパ・ブックスの創刊者です)のワンマン経営に批判が噴出、光文社労組は無期限ストライキに突入します。
しかし、会社側も黙ってはいません。経営陣は総退陣しましたが、次の経営陣は争議ゴロを取締役に就任させ、同時に警備員という名の暴力団を導入。会社をロックアウトします。
さらに組合を分裂させ、新たに全光文社労働組合(第二組合)が誕生。多くの労働者が第二組合へと走り職場復帰します(ちなみに1985年に光文社に入社した私は、もちろん第二組合員でした。ただ、その中では厳しい意見を言う人間だったため、相当ににらまれていましたが、、、)。
光文社労働組合(第一組合)に残った人々は、しかしこの闘争を諦めず、暴力団に殴られても蹴られても、あるいは警察(大塚警察署)が介入してきても闘い続けました(大塚警察署は講談社の隣にあります)。
激しい暴力、そして血が流れ、少なからぬ第一組合員が逮捕されました。
しかも、光文社経営の背後には親会社である講談社という強大な総資本が存在しています。
そして、最終的には第一組合対総資本の闘いとなります。
彼我の差は明らかです。
しかし、この闘いに第一組合は完勝しました。
実際、某大学法学部で労働法を専攻した知り合いによれば、当時のゼミの教授は「光文社闘争というのは法律的に見れば組合側の完勝」と言ったそうです。
実はマスメディアでも多くの労働争議が起きていますが、このような形で記録が残っているものはほとんどありません(記し遅れましたが、この本は1977年に刊行されたものです)。そういう意味で、この記録は稀有なものです。

私が光文社に入社した時には、すでに表面的には争議の影響はありませんでしたが、しかしそれなりに名残はありました。それを書くとキリがないので、またいずれかの機会としますが、、、

ところで、これはどこの企業でも同じようなものだと思いますが、光文社でも試用期間が3カ月あり7月に正社員となります。そして、争議後の新入社員はほぼ自動的に第二組合員となるわけですが、私の入社する前年までは、7月になると第一組合の方からこの本をプレゼントされていました。しかし、残念ながら私の年から品切れになったらしく、以後、この本が新人に配られることはなく、借りて読むしかなくなりました。
したがって、もちろん私もその昔に先輩からこの本を借りて読んだものです。
当時、どのような感想を持ったかはすでに忘れてしまいましたが、しかし今、改めて読み直してみると、さまざまな感慨がわいてきます。
まず、第一組合、第二組合を問わず、この本に出てくる方々の中で、亡くなられた方が少なからずいます。その中には良く知っている方ももちろんいます。
また、光文社はこの争議解決から三十年後、いろいろな原因で経営が悪化し始め、昨年、リストラを行なうことになりました。その経緯はたぬきちさんの「リストラなう!」に詳しいですが、本書を読むと私には1970年の労働争議当時と、「リストラなう!」がシンクロしてきます。
もちろん、この二つはまったく違うものですが、しかしどこかでつながっていることも事実です。そういうことは、いずれこのHPか、あるいは私の個人ブログで少し書いてみたいと思います。

さて、しかし今回、私がこの本を電子書籍にしてみようと思ったのは、また違う理由があります。
現在、日本は3月11日に起きた東日本大震災によって大変な影響を受けています。なかでも福島第一原発の破局事故による影響は、もはや日本ばかりか海や空を通じて世界中にまで影響を及ぼしています(断るまでもなく、私はもちろん地震、津波に襲われた地域の方々のことを忘れているわけではありません)。
京都大学の小出裕章助教は、「いま福島で起きていることは戦争以上にひどいことだ」と発言されています。
しかし、にもかかわらず日本の多くの人々は、メディアの報道などによって、なんとなく福島第一原発は収束しているように思い、もはや自分たちにはあまり影響のないものと思っています。
ところが現実には、首都圏にでさえ、日本の法律を厳密にあてはめれば放射線管理区域にしなければならない場所が少なからずあるのです。
そういう状況であるのに、現在、政府では原発を再び稼働させようという動きがあります。そして東京電力は、あれだけの事故を起こしながら、何の責任を問われることもありません。
なぜそのようなことになるのか。
それは電力会社と権力がガッチリと結びついているからです。
3・11以後、国民の間でもやっと脱原発の意識が芽生え始め、過去にない規模のデモが行なわれるようにはなりました。昔から原発に懐疑的だった私からすれば、これは凄いことではあります。
しかし、まだまだその人数はぜんぜん足りません。そして、現状、原発マフィアの側はまだまだ国民をなめきっており、その壁は分厚くしかも高く聳え立っています。
そういう存在を相手にするには、よほど市民の側も腹をくくらなければならないと思います。
先日の反原発デモでも少なからぬ人が逮捕され、また山本太郎氏が告発されたりするような状況が起きていますが、しかしこのようなことはまだまだ序の口で、本気で脱原発を目指そうとすれば凄まじい弾圧が起きることは間違いありません。
権力と闘うとは、つまりそういうことなのです。
本書に登場する労働者も徹底的に弾圧されています。しかし、当時の人々は苦しいながらも熱い気持ちを持って抵抗に抵抗を重ねました。仲間からどんなに逮捕者が出ようとも、それは変わりませんでした。
そして、彼我の差は圧倒的である巨大資本に対して、最後は完全勝利をおさめることができたのです。
私はこの記録を今こそ、是非、多くの人に読んでいただきたいと思っています。

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