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2011年9月 8日 (木)

『かくもさまざまな言論操作』を発売しました!

今週、2冊目の新刊が発売となりました。

Gwngos

かくもさまざまな言論操作

本書の著者、岡庭昇氏はかつて養殖ハマチの危険性などをテレビでスクープした元TBSのドキュメントディレクター(その時の本は『飽食の予言』に詳しい)。
早くから今日問題となっている行政やマスメディアの歪みをずっと以前から指摘されていた方です。
したがって、本書も1998年に刊行された本ながら、まったく古さを感じさせません。
たとえば原発について。

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 事態が教えるものは、あまりにもはっきりしている。この程度の基本的、初歩的な事故を起こしうる設備がそもそも原子力発電所なのだ、ということだ。これにつけ加える、どんな理屈も不要だろう。
 この場合も、あたりまえのことをあたりまえといい切ること、すなわち常識こそが大事なのではないだろうか。危ないものを危ないと感じて、危ないものはやめようと提案し、危ないものに執着する論理は成り立たないと、ごくごくまっとうに考える市民の発想以外に、本来「原発論議」は存在しないなずなのだ。
 なぜそれなのに、あまりにも事態は「ほんらい」ではなく、「あたりまえ」ではないものがまことしやかに存在してしまうのか。むしろ「あたりまえ」を、そのにぎやかさで圧倒してしまうのか。むろん、それこそが情報帝国主義の、情報帝国主義である証拠なのだ、といってしまえばそれまでなのだが。
 原発は、いわば「国是」である。「国策」なのである。そして、それが国策であるかぎり、それについての情報はまったく市民に知らされず、それに対するあらゆる疑念自体が認められない。それは、まさに国策であるゆえに存在理由を持つのであり、そこに懐疑も、検証もあってはならないのである。それこそが一党独裁の強いる現実にほかならない。国策であるならなおのこと、十分な検証が必要なはずなのだが、むろんそういう「まとも」は、そこでは通用しないのである。
 危ないものを危ないと感じて、危ないものをやめようと提案して、危ないものに執着する論理はあり得ないとするところの、「まっとうな」市民感覚は、原発をめぐって存在を許されなかった。情報帝国主義は、さまざまな手だてをもって、それを押さえ込んできたのである。
 そのひとつに、原発を危険だなどというのは、科学的な無知のしからしむるものにすぎない、という「理屈」がある。これはけっこう有効な詭弁だった。この「理屈」は、「危険性などはない」という結論を、「無知」呼ばわりと引き換えにきめつけるけれども、その「無知」が納得するようには説明してくれるわけではなく、ただ懐疑は無知の結果であると、決めつけるだけなのだから。
 たとえわれわれ市民が、科学的な専門性を持たないのは事実だとしても、そしてそのかぎりでは「無知」であるのが事実であるにしても、それを「無知」呼ばわりすることで懐疑を嘲笑し、否定した論議は、ついに懐疑のなかにある無知を、懐疑を超えたところの「納得して安心した知的認識」に転じさせることができなかった。そんなにも、説得力のない専門性などというものがあるだろうか。
 はっきりいって、このきめつけにあったのは、論理でも専門性でもなく、ただ「無知」という高飛車な罵倒で、懐疑自体を封じ込める「政治」なのであり、そうである限り「無知」が正当に感じている懐疑や危惧に対して、「無知」よりはるかに非論理的であることははっきりしているのだ。
 さて、だからこそわたしは、さきの指摘にこそここでもどらなければならない。すなわち、この程度の基本的、初歩的な事故の可能性を持つのが、原子力発電所というものなのである、という指摘に。
 科学的な知識が、それだけで認識の優越性を保証するという考え方自体が意味を持たないが、それ以上にここでの皮肉な結論は判然としている。懐疑や危惧を無知呼ばわりした、科学的に優越している立場が、少なくとも専門家としては、この程度に基本的で、初歩的な事故を起こしてしまったのだ。つまりは、非専門家の「無知」が感じた懐疑や危惧こそが、じつは正当に事態を認識していたわけなのだから。
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いかがでしょうか。実は上記の「事態」とは1997年3月11日(!)に動燃で起きた再処理工場爆発事故を指しています(私も今、改めてこの事故の日付を見てビックリしました)。
しかし、これはまったくもって2011年3月11日以降の東京電力福島第一原発事故にそのままあてはまります。
つまり、当時も今も、何も変わっておらず、岡庭氏が提出した問題は何も解決されないまま今日に至っていたというわけです。

さて、今回はすでにお伝えしましたように、「究極のニヒリズムを越えて――原発社会との対峙」という新たな書き下ろし原稿を加えての発売となります。
少しでも東京福島第一原発事故に関心のある方は、是非ともお読みいただいて、霞が関の官僚、財界、マスメディアによる「情報操作」に対する感性を磨いていただければと思います。

なお、これもすでにお伝えしましたように、岡庭氏が個人的に発行している「週刊岡庭昇」の一部原稿を、本書の発売記念として、今後、掲載していきますので、お楽しみにしていただければと思います。

なお、引き続き『戦後日本の思想』、『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』も好評、発売中です(電子書籍に絶版はありません)。

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戦後日本の思想

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『東京電力福島第一原発事故とマスメディア』

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